【解説】オバケのN氏
- Tetsuo Tachikawa
- 2025年10月25日
- 読了時間: 3分
はじめに
本記事はあくまで、私個人の考えです。読み方は人それぞれですので、あくまで解釈の一つとしてお読みいただけると幸いです。
また、自分の読み方を大切にしたいという方は、こちらの記事は読まず、そのままご自身の感性を大切にしていただきたいです。
以下、解説になります。
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この物語は何を表しているか?
私は明確に、「トランスジェンダーのサバイバル譚」として描いた。
私はノンバイナリー当事者である。その体験を下地に、生きた証を残したいという思いで描いた。ポップな見た目だが、ちゃんと重い話である。
オバケは「社会に透明化された者」「曖昧さを生きる者」のメタファーである。
主人公の名前はN氏だが、このNは「ノンバイナリー」のNからとった。
オバケたちの願い「人間の体を手に入れたい」「オバケのまま人間と仲良くなりたい」は、トランスの願いの多様さを表したつもりである。トランスにも、望む性別になりたいと願う者もいれば、曖昧さを保持したまま生きたいと願う者もいる。
中盤で人形の体を手に入れる友人は、医療によってトランジションしたことを意味する。
実態を持つことにより、ようやく社会に可視化されたことも意味する。
しかし「人形であると言われる」=「パス度が低かった」ということで、人間社会=シス中心の社会には受け入れられなかった。
オバケメガネをかけてやってくる迫害者は、実在するトランスヘイターそのものである。
彼らのメガネはよく見ると「POST」の文字で覆われているが、これは制作した2024年時点で、トランス差別がSNSで激化しやすい現状を表している。また、メガネが文字で覆われていることによって、彼らの目に見えているのは「歪められたトランス」であることも表した。
また、「オバケメガネがオバケを可視化する」という設定も、現状の反映である。おそらく世の中のほとんどの人は、トランスに関心を持っておらず、身の回りにいるとすら考えていない。しかし迫害者にはトランスの存在が見えている。
終盤で登場するギターオバケは、単独で活動するクィアである。ギターオバケの声は誰にも届いていないが、いつか誰かに届くと信じて歌い続ける。表現が有効であることも信じている。
ギターオバケは、主人公に「お守り」をくれる。そしてこのお守りは、「たくさん本を読んで作ったもの」だと言う。それは、お守りが「先人の知恵と抵抗の歴史の結晶」であり、それは他人に伝播可能であることの証である。
雨が上がると、ギターオバケは主人公を置いて次の場所へ行く。ギターオバケはどこまでもマイペースである。序盤の仲間と語り合うシーンで「連帯の大切さ」を描き、ここで「連帯しない自由さ」も描いた。そういうつもりである。
最後に現れる虹は、もちろんレインボーフラッグを表しており、主人公の次の居場所を示唆している。どれだけ孤独に思えても、どこかに仲間はいて、(いつもそうは思えなかったとしても)希望は常に存在するものである。
ついでに言うと、1ページ目と3ページ目の配色は、それぞれノンバイナリーフラッグとトランスジェンダーフラッグを表している。
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といった感じで、以上、解説としてはこんなところです。
冒頭でも書きましたが、あくまでこれは「私個人」の考えの一つで、創作作品である以上、読み方は人それぞれです。そのため、上記の話は一意見としてだけ捉えて、皆さんの感じた素朴な印象を第一にしてほしいと思っています。
こんな解説記事を書いておいて矛盾しているとは思いますが、よろしくお願いします。