ヴィンスと魔法の王冠
小さな王冠が、洞窟の奥、ひとりきりで光っていた。
それは主を待つように、ひとり静かに呼吸していた。
残り三年
「村は本当に退屈で疲れるな、カーリィ」
「また村に行ってきたのか、ヴィンス」
木製 の扉を開けて、ヴィンスと呼ばれた若い人間がやってきた。扉の音とともに、ヴィンスの一つに束ねられた艶やかな長髪が揺れる。カーリィは手元の本から視線を上げ、目を細めてヴィンスを見た。
「いつも言っているだろう、ヴィンス。村の皆とは根本的に話が合わないんだ。無理をしてまで村に行く必要はない」
「カーリィ、私もいつも言ってるが、二人だけの閉じた人間関係は健全とは思えない。二人だけで対話していれば、考えは狭まり偏っていく。だから無理をしてでも村に行く必要があるんだ」
「ふぅん? ”退屈な”村の人々が、お前の考えを押し広げてくれると?」
「少なくとも、私達の中だけでは得られない感覚を与えてくれるさ」
ヴィンスはそう言って、荷物を下ろした。それから 自分の茶を用意する。カーリィはその後ろ姿をしばらく見つめたのち、言った。
「私はお前という理解者が一人いれば、それで十分だがな」
それを聞いて、ヴィンスは自嘲気味に笑った。
「そう思えるお前は、ある意味成熟しているのかもな」
そう言ってヴィンスはカーリィの向かいに座り、続けた。
「私はまだ理解し合いたいと思ってしまうんだ、村の皆と。いや、理解なんかできなくたっていい。ただ……”話”をしたいだけなんだ。そんな願い、無意味だとわかっているのにな」
「別に、そう思うのは自然なことだろう。お前はただ 人間をやっているだけだ」
そう言ってカーリィは、手元の茶に口をつけた。
二人は双子の魔術師だった。有能で村人から頼りにされる存在ではあったが、その偏屈な性格により村からは孤立していた。ゆえに、二人は村から離れ、森でひっそりと暮らしていた。……が、近頃のヴィンスは村に頻繁に通うようになっていた。
ヴィンスは束ねた長髪をほどいて、ため息混じりに言った。
「私が口を開けば、すぐに『難しい話はやめてくれ』だの『もっと楽しい話をしようよ』だの……私は十分に簡単で楽しい話をしているつもりなのだがな。専門知識など何もいらない、ただのこの世界の枠組みの話だ」
「ほう? どんな話をしたか、私に聞かせてみろ」
「色々あるが……そうだな、特に印象的だったのは、私達の性別の話だったな」
「頻出話題だな。また『あんたは男なんだから』とかなんとか言われたのか? あるいは、私のことを『あのお姉ちゃんは』、とか?」
「『お姉ちゃんは』だ。私は『その言葉がカーリィの人格を歪める』と何度も話しているのだがな。どうも、尊厳に関わる話だと理解していないらしい。性別は本来ただの記号に過ぎない。しかし今となっては意味を持ち過ぎた。だからこそ慎重に扱うべきだと思うのだが」
「いいさ。私はもう彼らに理解されることを諦めた。お前は自分の心の安全だけを考えろ。お前が私を守ることで傷つくのなら、お前は何も話さなくともいい」
「お前の尊厳は私の尊厳でもある。何度否定されようと、諦めるわけにはいかないさ」
「お前はいつも、それを言うな」
「ああ。私が説明するのは、自分のためだけじゃない。黙って傷つく人間がいる限り、誰かが言わなければならないと思っている」
「お前は本当に難しい挑戦をしているな。心から尊敬するよ。いや、皮肉ではなく本気でな。男か女、どちらかが割り当てられることが当然の世界で、お前は人々に、自分の内面の在り方を広げるよう求めているのだから。切実な違和感を持たない限り、それはあまりに抽象的で理解し難いのも無理はない。人はどうしたって、自分の枠組みの中でしか考えられないものだ」
「だからこそ、枠組みを疑うことが重要なのだ。別に、完璧に実践しろと言っているわけではない。私自身、それができているかわからな い。ただ、ほんの少しでいい。少しだけでも、その枠組みを問い直す姿勢を持ってほしい。それだけなのだが……それが、伝わらない」
「そうだな。……私は、何を言えばいいかわからないよ、その件に関しては。私は理解させることを放棄した”怠惰な人間”だからな」
「まあ、私はもう少し頑張ってみるさ。私は理解されたがりの”厄介な人間”だからな」
そう言うと、ヴィンスは少しだけ目を伏せた。
「自覚はしているんだ、カーリィ。私はきっと説明しすぎるんだ。黙ることを知らない、子どもなんだ」
「……別に子どもではないと思うが。まあ、無理はするな」
そう言って、カーリィは空になったカップに口をつけた。
残り二年
「ただいま、カーリィ」
「……おかえり、ヴィンス」
木製の扉を開けて、ヴィンスがやってきた。カーリィは手元の本から視線を上げ、ヴィンスを見た。歩くたびにヴィンスの艶やかな長髪が揺れる。一方で、その顔には疲れと落ち込みの影が見えた。
「何かあったのか、ヴィンス」
「今日は夏至祭の準備をしてたんだ。普段は僕たち、魔術でみんなに貢献してるけど、ああいう場に行くと自分がいかに無能か思い知らされるね。みんな本当にテキパキ動くんだ。あんなに混沌としてる中でも、自然に自分の仕事を見つけられるみたい」
「私達は普段の役割も求められる知性の性質も違うのだから、当然だろう」
「それはわかってるけどね。それでも僕はあたふたするばっかりで、自分がとんでもない役立たずに思えて。実際に『うすのろ!』って言ってくる人もいたし、それなりに落ち込んでるよ。僕もカーリィみたいに”超然と”できればいいんだけど」
「それはわからないぞ? 私も同じ状況になれば、お前以上に落ち込むかもしれない」
「ははっ、そうは思えないけどな!」
そう言うと、ヴィンスは自分のティーカップを持ってカーリィの向かいに座った。
「カーリィも、明日の夏至祭に行かないかい?」
「興味ないな。おっと、『初めから拒絶していたら、得られるはずのものも得られないよ』というのは無しだぞ。私は去年、行ったんだからな」
「そうだねぇ。カーリィも僕も、あんまり馴染めないで帰ってきたんだっけ」
「そうだ。村が喜び一色に染まって、それ以外の感情を認めまいとするあの空気が異様で、本当に気味が悪かった。あれは村全体を巻き込んで、『楽しんで当然だろう?』という同調圧力をかけてくるじゃあないか」
「僕もその点に関しては同意だね」
「それでもお前は行くのだろう?」
「ああ、行くよ。大衆は何に熱狂するのだろうみたいに”分析”するつもりで行けば、それなりに有意義な時間は過ごせるんじゃないかな」
「つまりお前は、祭りそのものは面白いと思っていないんだな」
「それでも勉強する姿勢は大事だろう? 話し合うには、こっちから歩み寄らないと始まらないからね。……まあ、正直、気が重いけどさ」
ヴィンスは、肩をすくめながら笑った。その笑いには力がなかった。
「お前のそういうところは本当に尊敬する」
カーリィはそう言って、カップを軽く傾けた。その向かいで、ヴィンスは窓の方へ視線を投げたまま、瞬きもせず何かを考えている。窓の外からは、夕方になった今もなお、遠くから無邪気な子供の声が聞こえてきた。カーリィはそんなヴィンスを見ながら、ぽつりと言った。
「お前、本当に”村人らしい”喋り方が板についてきたな」
「えっ、急にどうしたんだい」
「別に。ふと思っただけだ」
「まあ、僕も努力してるからね」
そう言うと、ヴィンスは再び窓の外へ目を戻した。それを見て、カーリィは静かに茶に口をつけた。茶の温度は冷め切っていた。
残り一年六ヶ月
「ただいま、カーリィ」
「おかえり、ヴィン……ヴィンス? その髪はどうしたのだ」
カーリィはわずかに目を瞬いた。ヴィンスの髪は、あの艶やかな長髪ではなく、耳元で切りそろえられた短髪になっていた。
「ああ、村の人に切ってもらったんだ。この方が、”受け入れられやすい”と思ったからね。入り口なんて、広いに越したことはないだろう?」
「……それは本質ではないと思うが」
「本質じゃないところが重要なんだよ」
ヴィンスは力なく笑った。カーリィが片眉を上げたのを見て、ヴィンスは言葉を続けた。
「実際、良いことだらけだったんだ。髪が長いっていうだけで話してくれない人もいたけど、そういう人も話せるようになったし。今まで仲良くしてくれた人も、『かっこいい!』って言って、もっと優しくしてくれるようになったんだ」
それを聞いてカーリィは、一瞬だけ眉をひそめた。それを見て、ヴィンスは苦笑する。
「わかるよ、カーリィ。お前は美人と言われて嫌がったことがあったもんね」
「ああ……そんなこともあったな」
「覚えてるよ。『村人どもは、”他人の容姿を貶すこと”は罪だと自覚しているのに、”褒めるならば良い”と思っている。しかしどちらも本質は同じだ。容姿によって評価することそれ自体が無礼で下品極まりない』、でしょ?」
「そんなこと言った気がするな。今も同じようなことは思っているが」
「わかってるよ。僕だって、かっこいいねっていう言葉を無批判に受け入れるほど愚かじゃない。でも、それを利用してでも……いや、そんな言い方はずるいね。とにかく僕は……受け入れてほしいと思っちゃうんだ」
ヴィンスは微笑んでみせたが、それは明らかに無理やり作ったような笑みだった。ヴィンスは切ったばかりの後頭部を無意 識に何度も撫でている。
「お前は、自分の髪を大切にしていると思っていたんだがな」
「必要な犠牲だよ、みんなに受け入れてもらうために」
その言葉はどこか淡々としていたが、ヴィンスはすぐに視線を伏せ、肩をすくめた。
「ほんと、笑えるよね。髪一本で……」
カーリィは黙って頷き、静かに続けた。
「思うところは色々あるだろう。いくらでも話は聞くぞ」
「ありがと う、でも、村の人のことを悪く言うのはちょっと、ね」
「そうか? まあ、話したくなったら話せ」
カーリィがそう言うと、ヴィンスは薄く笑って去っていった。ヴィンスは自分の片腕を強く掴んでいた。カーリィはその手の震えに気がついたが、黙ってその背中を見送った。
カーリィの視界の端で、床に落ちたかつてのヴィンスの長い髪が、夕日を受けてほのかに光った。カーリィはしばらくの間、無表情でそれを見つめていた。
残り一年三ヶ月
「ただいま、カーリィ」
「おかえり、ヴィンス」
カーリィは手元の本から視線を上げ、ヴィンスを見た。扉を開けて入ってきたヴィンスの顔には、明らかに覇気がなかった。短く切られた髪は乾いた藁のようで、以前のような艶はどこにもなかった。
「僕もお茶、飲もうかな」
「私がやる」
カーリィは立ち上がり、キッチンに向かったヴィンスを遮るように、茶葉の入った容器を開けた。
「今日もお茶出してくれるんだ。カーリィ、最近妙に優しい よね。最近ずっとこんな感じ」
「あのな、この際だからはっきり言わせてもらう。お前はもう、村に行くのをやめろ」
「え」
カーリィの珍しく強い語気に、ヴィンスは気圧され、困惑の顔でその目を見返した。カーリィ自身も戸惑ったように、一瞬黙り込んだ。それから小さくため息をつくと、先ほどよりは幾らか優しく「座って話そう」と言った。
二人が向かい合って座ると、カーリィの方から口を開いた。
「お前は本当に、村人と”仲良く”しているのか?」
「してるよ」
ヴィンスは心外そうに、即答した。
「みんな、僕に対して親切にしてくれる。いろんな話を聞かせてくれるし、食べ物だってくれるよ」
「なら質問を変えよう。お前は”自分の話をどの程度村人に聞かせている”?」
「自分の話なんて、するわけないよ」
カーリィは目を見開いて何か言いかけた、が、それに被せるようにヴィンスは続けた。
「いや、するわけないっていうのは嘘かも。たまにしかしないっていう程度。みんなにとって、僕の話はややこしすぎるし役に立たないし、何よりつまらないからね。そう、たまにはするんだ。たまには。でもわかっちゃうんだよ。どれだけ易しい言葉を使っ ても、どれだけ言葉を尽くしても、みんな、受け入れているフリをして、本質的には何も理解してないっていうこと。でも、これでも、受け入れてくれているだけまだいい方なんだ。前は受け入れるフリすらしなかったからね」
「受け入れるフリは、受け入れないことよりも悪質じゃないのか」
「それでも、対話を続ければいつかはわかってもらえると信じてる」
「その対話すら碌にできていないだろう」
ヴィンスの顔がこわばり、言葉が詰まる。
「お前が今享受しているのは”条件付きの隣人愛”だ。その証拠に、お前はあれほど大切にしていた髪まで失った」
「そう……だけど……」
ヴィンスは目を泳がせながら、机を向く。
「お前が本当にしたいのは、表面だけの浅い交流ではなくて、対話を通じた深い相互理解だろう? それができないのなら、自分を削ってまで村に行く意味などない。いや、意味がないどころか、有害だ。お前は今すぐに村に行くのをやめろ」
「カーリィ……」
「前にも言ったが、私はお前という理解者が一人いれば、それで十分だ。だが、お前は違うのか?」
「違うよ」
ヴィンスは力無く、しかしはっきりとした言葉で言った。
「前にも言ったけど、僕は二人だけの閉じた関係は不健全だと思う。それに、僕は、多くの人に理解されたいって思わずにはいられないんだ。閉じた関係が不健全だと思うのは真っ当な感覚だと思ってる。でもみんなに理解されたいっていうのは……わかってるよ、汚れた欲求だよね。自分でも情けないと思う。どうして僕はこうなんだろうね……」
「汚れてなんかいない。お前は私よりもよほど真っ直ぐに物事に向き合っている。それだけだ。ただ、今だけは、村から少し距離を置け」
「無理だよ……明日はみんなで、昼食を食べる約束をしてるんだ」
残り一年
「ただいま、カーリィ」
「おかえり、ヴィンス」
カーリィは手元の本から視線を上げ、ヴィンスを見た。髪は相変わらず艶を失っていたものの、その目には、久しぶりに何かを見据える意思が宿っていた。
「今日は吟遊詩人が来たんだ」
この日はヴィンスの方から、積極的に話し始めた。
「みんなもう、その人に夢中でね。観察していたらわかったんだ。今までの僕に足りなかったのは芸術性だったんだって」
「はあ?」
「僕の話はそのままの状態じゃ受け取ってもらえない。だから、僕の話は、みんなが楽しみながら受け取れるように加工しなくちゃいけないんだ。それで、思いついたんだ。物語を作ろうって」
「はあ」
「物語の中に、僕の思想を織り交ぜるんだ。説教くさくならないように、あくまで自然にね。そうすれば僕は言いたいことが言えるし、みんなは楽しんでくれるし、良いことしかない! っていうわけ。どうかな?」
「そうだな、物語の有効性は私も理解できる。お前にやる気があるのならやってみたらいい」
「実はもう、アイデアは思いついてるんだ。だから 後はもう書くだけ。テーマは、”心の痛みを抱えているのに黙ってる人の話”なんだ」
「なんだそれは。お前そのものじゃないか」
「へへ、そうなんだよね。でも、あくまでこれは、愚痴じゃなくて、”考えるきっかけ”にしてもらうだけ。これを読んでくれれば、みんな、そういうのをちゃんと考えるきっかけになると思うんだ。それに、僕の書いた話からこういう思想が出てくるっていうことは、僕もそういう痛みを抱えてるって、気づいてもらえるかもしれないしね」
ヴィンスは嬉しそうに笑った。だがその笑顔には、どこか焦りのようなものが混じっていた。カーリィの視線にはかすかな翳りがあった。だがヴィンスは、それに気づくことなく早口で続けた。
「大丈夫だよ。今回は本当に、ちゃんと届く気がする。カーリィも楽しみにしててよ! ああ、これでやっと、みんなに本当の僕をわかってもらえるな! なんか、変な言い方だけど、やっと救わ れた気持ちになった気がするよ!」
カーリィはその目を静かに見つめた。何も言わずに、ほんの数秒だけヴィンスの顔を見つめたまま、言葉を探していた。
「……それは、伝わるといいな」
カーリィは祈るように呟いた。
残り六ヶ月
「ただいま、カーリィ」
「おかえり、ヴィンス……」
扉を開けてヴィンスが入ってくる。艶のない髪はもう見慣れたものだったが、その声と表情は、これまでには無かったほどに強い苛立ちと焦燥に塗れていた。
ヴィンスは乱暴に椅子を引き、背もたれに体を叩きつけるようにして座った。そして、静かだが確実に怒気を孕んだ、異様に張り詰めた声で話しだした。
「僕が作品をみんなに渡してから、もう三週間だよ。三週間あったんだ。なのに、感想をくれたのは五人だけだ。三週間も期間があるのに、それでも読み終わらないほど、みんなの読む速さは遅いのか?」
「少なくとも、私達よりは遅いだろうな。まあ気長に待て」
カーリィは静かに返 したが、声音には微かな緊張が滲んでいた。カーリィはヴィンスを見つめる。ヴィンスの目はもう焦点が定まらず、机の木目を何度もなぞっていた。その指は机の上で、無意味に何度もこすり合わされている。
「違う。気づいてる。本当はわかってるんだ。『読むね』なんて言葉、ただの社交辞令だったってこと。本当はみんな、読む気なんて全く無いってこと。『忙しいから後で読む』とか言う割には、昼寝ばっかりしてたりするじゃないか。ずっと噂話ばっかりしてるじゃないか。僕の話より、誰が誰を好きだとか、そんなことの方がずっと大事なんじゃないか。僕の作品には価値がないのか? 僕の主張には何の価値もないのか? 僕には何の価値も……」
「私は面白いと思ったぞ」
被せるように、カーリィは言った。ほとんど衝動的に口を開いていた。
「面白いストーリーの中に主張がうまく組み込まれている。文章もわかりやすくて、すらすら読めた。 読んでいて本当に楽しかったし、それでいて、強い痛みも感じた。まあ、お前そのもの過ぎるとは思ったがな、私はお前の才能に驚いているぞ」
その言葉にヴィンスは、顔を上げて自嘲気味に笑った。
「カーリィは優しいな。カーリィはよく褒めてくれるよ。僕が仕込んだメタファーにも気づいてくれるし、僕の本当に言いたいことも受け取ってくれる」
「まあ私はお前のことをよく知ってるからな……それでも、五人は感想をくれたんだろう?そいつらは何と言っていた?」
「面白かった」
「何?」
「面白かったって、それだけ。とて もじゃないけど、僕の意図を理解しているとは思えなかった。みんな、僕の物語を……そう、まるで見世物小屋でも覗くように、ただ眺めて、笑って、それで終わりだったんだ。派手な部分だけ拾って、あとは何も気にしない」
その声に、カーリィの眉根が歪む。しかしカーリィが言葉を発する前に、ヴィンスは畳み掛けるように続けた。
「よくわかったよ、みんな僕に関心なんてこれっぽっちもないって。あんなにも思いを込めたのに。なのに、誰も届いていない。誰も、見ようとしてくれない。あんなにも、魂を削るようにして書いたのに……そもそも“僕自身”なんて、最初から必要なかったのかな……」
カーリィは言葉を探すように、わずかに視線を彷徨わせた。しかし何を言っても、今のヴィンスには届かない気がした。
残り三ヶ月
「ただいま、カーリィ!」
「おかえり、ヴィンス……?」
扉が開いた瞬間、カーリィは違和感を覚えた。ヴィンスの声は、いつもの疲れたものでも、怒りに滲んだものでもなかった。妙に明るく、浮いていた。明るすぎた。
カーリィが本から顔を上げると、ヴィンスは興奮したように、息を整えながら言った。
「すごい噂を聞いたんだ! ”魔法の王冠”ってやつ! なんでも、”どんなことでもできる無限の力を与えてくれる”らしいんだ!」
「誰だそんなふわっとした噂を流した奴は……」
「でもこれがあれば! 僕はみんなに思いを伝えられるかもしれない! 真にみんなと理解しあえるかもしれないんだ! なんたって、無限の力を与えてくれるんだからね!」
「いや、だが……」
「こんなに時間が経ったのに、僕の作品を読んで感想をくれたのはたったの八人だったんだ。しかもみんな、面白かっただとか、その程度の浅いものばっかり。こんなのもう、魔法の道具に頼るしかないじゃないか!」
「いやしかしな……何の信憑性もないだろう、その話」
「それが、ただの噂じゃないんだよ! 吟遊詩人も、村の長老アーベルさんも、昔から伝わる本にも記録されてたんだ! 伝説の村ラーデルンでは、実際にその王冠が使われて、一夜にして栄えたって話! 今はもう滅びちゃったらしいけど」
「ラーデルンが滅びたのは知っているが……」
「それでも、当時の繁栄の痕跡は残ってる。古い礎石や水路跡、歴史の断片だよ。それでさ、もっと詳しい情報を知るために、アルセリオまで調べに行こうと思うんだ。知ってるでしょ、アルセリオにすごい大書庫があるの! これがあれば、僕はみんなに本当の思いを届けられるかもしれない!」
「ほおん……」
カーリィは興味なさげに唇を歪めたが、ヴィンスの興奮の裏に、どうしようもない焦燥と狂気じみた希望の匂いを嗅ぎ取った。カーリィは敢えて話題を逸らすことにした。
「まあ、ほどほどにな。逆に聞くが、お前は無限の力で何がしたい? 真に理解し合うとは、どういうことを指す?」
「僕はただ、みんなにわかって欲しいんだ。僕が何を考えてて、何を感じてるのかってことを、わかってほしい。共感して欲しいとは思わない。反対意見があってもいい。ただ、理解はして欲しいんだ。僕が書いたあの物語には、全部、全部、込めたんだ。でも結局、それを読んだ人たちは、誰も僕を見ていなかった」
一瞬言葉が途切れ、ヴィンスの目が虚空をさまよった。しかしすぐにカーリィを見つめ直す。
「カーリィは? 無限の力で何がしたい?」
「私は、お前とずっと……」
カーリィは一度だけ目を伏せ、小さく息を呑んでから、視線を上げて言った。
「そうだな、ケーキをたらふく食いたいな」
「へ? ケーキ?」
「そうだ、ケーキだ。朝起きたら、無限にケーキが湧いてくる。昼にも夜にも、違う味のケーキが無限に湧いてくるんだ。夢のようじゃあないか?」
「そんな、ケーキだなんて……カーリィがそんなこと考えてたの、全然、想像もしなかった」
「ふふ、他者理解なんてそんなものだ」
「そうかな……」