うんちの妖精
「僕はうんちの妖精! 君がエドウィンだね?」
「うーむ、私はまだ夢を見ていたかな?」
「夢じゃないよ! 君は今この瞬間、本物のうんちの妖精を目にしているんだよ!」
「ふむ、うんちの妖精という割には、君は無臭なのだね?」
「そうさ! それよりもエドウィン、散歩に行かない?」
「うむ、いいだろう」
エドウィンはベッドから起き上がると、白いシャツに着替え、外套を羽織った。朝食は、カフェで取るのが良いと思った。
ドアを開けると、白い朝日が、まるで祝福するかのように、二人に降り注いだ。エドウィンはわずかに目を細める。その横で妖精は、全身で喜びを表現しているかのように宙を飛び回っていた。
石畳の上に足音が響く。隣を、大きな犬と老人が通過していく。パン屋の甘い匂いが鼻に香った。妖精はいつの間にか、エドウィンの肩に、ちょこんとお行儀よく座っていた。
「ところでその、うんちの妖精くん。君の経歴を聞いてもいいかね?」
「経歴? そんなものないよ。僕は今生まれたばっかりなのさ」
「ふむ、私は今朝、トイレに行っていない。ということは、君はよその家から来たということかな?」
「そんなことどうでもいいじゃないか! それよりも僕は、今、君と一緒にいられることが大事なのさ!」
「ううむ……」
二人はカフェに入った。レジの店員も、他の客達も、妖精には目もくれなかった。妖精は自分にだけ見えているのか、あるいは。
エドウィンはアボカドの乗ったトーストとコーヒーをオーダーした。席に座って、外套を脱ぎ、トーストを齧る。パンの香ばしさが鼻に抜け、アボカドのとろけた甘み、マヨネーズと塩胡椒の塩味が、口の中で混ざり合った。妖精は、テーブルの上に座って、その様子をじっと見ていた。
「エドウィン、君はそのトーストが好きなのかい?」
「ああ、そうだが……」
「いい趣味だね。英国紳士って感じ」
「はは、英国紳士はこんなもの食べないさ」
そう言ってエドウィンは、コーヒーを一口すすった。コーヒーはブラックで飲むのが、エドウィンの日常だった。妖精は笑顔のまま、その様子を眺める。
「トースト、美味しそうだね」
「うむ」
「僕も食べてみたいな……」
「なんだ、食べたいのかね? なら食べるといい」
そう言ってエドウィンは、トーストをちぎって妖精に渡そうとした。妖精は顔を輝かせた。しかしすぐに、腕を引っ込めた。
「やっぱり、食べるわけにはいかないや……」
「そうなのかね?」
「でも、ありがとうね! エドウィンってやっぱり優しいんだ!」
そう言って妖精は、くるくると宙を舞い、歌を歌い始めた。しばらく歌い、それから、満足したかのように、テーブルの上に戻ってきては、ちょこんと座ってエドウィンを見上げた。
「ねぇエドウィン、この後、僕、行きたいところがあるんだ」
「ふむ、どこに行きたいのだね?」
「口で案内するよ」
エドウィンは再び外套を羽織ると、妖精の案内に従って、道を歩いた。何度か角を曲がって、数分ほど歩いたところで、妖精は「止まって」と言った。
なんの変哲もない道路だった。
車が、行き交っている。妖精はその様子をじっと見つめていた。しばらく見つめて、それから、「ありがとう」と言った。
「もう気が済んだよ。それじゃあ、帰ろうか」
家に着いてエドウィンが手を洗っている間、妖精はリビングのテーブルの上に寝転がっていた。寝転がりながら、次はエドウィンと何を話そうかと考えていた。次は時計台に連れて行ってもらおうかとも考えた。しかしリビングにやってきたエドウィンは、言った。
「おや、君、薄くなってきているぞ?」
「え?」
妖精が手をかざすと、自分の手のひら越しに壁が見えた。鏡の前に飛んで行ったら、自分の体が、はっきりと半透明になっているのが見えた。
「ああ、そっか、僕……」
妖精は全てを理解したように言った。
「ずっと一緒には、いられないんだ……」
妖精はうなだれて、少し黙った。エドウィンは言う。
「どういうことだね? 君は、大丈夫なのかね?」
妖精は顔を上げると、少しだけ、じっと黙って、それから、意を決したように言った。
「エドウィン、僕、本当は、うんちの妖精なんかじゃないんだ」
「何?」
「僕、本当は猫の幽霊なんだよ」
「なんだって、君は……」
「君は十年前に、野良猫を助けたのを覚えているかな? その時の野良猫が、僕なんだよ」
「どういうことだね……」
「野良猫だったんだけどね。車に轢かれて死んじゃったんだ。それで、気がついたら、この姿で君のところにいたんだよ」
「……」
「僕、幽霊になるのって、生きてる時の綺麗な姿でなるのかと思ってたんだけど、僕は死んだ時の姿で幽霊になっちゃったみたい。だからこんなにぐちゃぐちゃなんだ。でもぐちゃぐちゃの姿で君の前に出るのは、なんだか……とにかく、君に嫌われたくなくて、うんちの妖精って言っちゃったんだ」
「うむ……」
「死んじゃったけど、最後に君のところに来られたのは、神様からのご褒美だったのかも。あの時、足に包帯巻いてくれてありがとう。それじゃあ、元気でね」
そう言うと、妖精……猫の幽霊は、ふっと姿を消した。エドウィンは、しばらくの間、そのまま宙を見ていた。
・ ・ ・
夕方、エドウィンは、猫の幽霊に連れられて行った、あの道路にいた。今朝よりも車の通りは増えていた。
エドウィンはそっとしゃがむと、電柱の下に一輪の白い花を置いた。立ち上がって、しばし眺めたのち、エドウィンは背中を向けて歩き出した。風が吹いた。エドウィンの髪がそっと揺れる。振り返ると、そこに花はなかった。ニャっと、小さく笑うような声が聞こえた。
END