超!異世界転生 ①
アベル・ダルデスパンは若き兵士であった。類稀なる武術の才と気高き精神から、大いなる人望を集め、この国の未来を託される存在として誰もが期待を寄せていた。
彼には密かに憧れる人物がいた。それは、幾度も戦地へ赴きながら常に無傷で帰還し、また、一夜にして百人の敵兵を討ち取った伝説を持つ女兵士、シャルロット・ダングルベールであった。
アベルにとって、彼女は強さの象徴であった。彼はこの度の戦にも彼女が参戦すると知り、少しでも彼女に近づこうと胸を高鳴らせていた。
この戦で、彼は既に何人もの敵国兵士を手にかけていた。彼は疲労に苛まれていた。それ故か、彼に一瞬の油断が生まれた。刹那、彼の胸目掛けて槍が飛び込んできた。それに気付き、彼は目を見開いた。
その時だった。彼の目の前に銀の鎧が覆い被さった。彼は瞬時に理解した。彼は何者かに庇われたのだということ。そして、彼を庇ったのは、伝説の女兵士、シャルロット・ダングルベールその人であるということに。
シャルロットは自らの胸に突き立った槍を引き抜くと、目にも止まらぬ勢いで槍を投擲した。その槍は、呆気に取られた敵国兵士の心臓を貫いた。
アベルは見開いた目で、唇を震わせながら言った。
「な、なぜ貴方様が、私などをお庇いに……」
シャルロットは振り返り言った。
「お前は若い。この国の未来そのものだ。そんなものも守れず、何が誇り高き兵士であろう!」
「で、ですが、貴方は誰よりもお強い。貴方はこの国に必要……」
「否! この国を背負うのはケチな老いぼれどもではない、未来ある若者だ! そのために命を尽くせるのなら本望!」
それからシャルロットは、優しく笑い、言った。
「未来を、頼んだぞ」
そう言うと、シャルロットはその場に崩れ落ちた。そして静かに、息を引き取った。
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シャルロットは死んだ。そのはずだった。しかし、彼女は目覚めた。そこは見たこともない部屋の中だった。
はじめに目に入ったのは木製の天井、そして覗き込む幾人もの男女。シャルロットはまず、自力で起き上がれないことに困惑した。次に、思うように言葉を出せないことに困惑した。
「儀式は完了した。あとは好きにするが良い」
どこかで、若く、男とも女とも判別がつかない声が響く。それを皮切りに、歓声が湧き起こった。
「アドマイア! アドマイア!」
「我らが救世主、アドマイア!」
「アドマイア! アドマイア! アドマイア! アドマイア!」
シャルロットの身体が宙に浮く。彼女はすぐさま、何者かに持ち上げられたのだと理解した。なんという怪力の持ち主。しかしどうにも身体の感覚がおかしい。シャルロットは自らの右手を顔の前にかざした。そこで目に入ったのは、なんと奇怪なことか、丸々とした赤子の手であった。
シャルロットは目を見開く。シャルロットの困惑をよそに、彼女は宙から下ろされ、何者かの膝の上に乗せられた。
一人の女がシャルロットの目の前にやってきた。女の眼光は鋭く、歴戦の兵士であるシャルロットでさえ、射抜かれてしまいそうだと感じたほどであった。
「よくぞ降臨してくださいました、アドマイア様」
女は言う。
「貴方の名は『アドマイア』、邪悪なる竜人族の長を倒すべくおいでなさった、高貴なる光の戦士です」
女は続けた。
「アドマイア様、貴方には使命があります。忌々しき竜人の王を倒すのです。そして我が村に救いをもたらすのです。貴方の使命のため、我々も尽力いたしましょう。その代わりにどうか、我々の村をお救いください」
女は跪き、頭を垂れた。それに続いて、他の人間も一斉に頭を垂れた。ただ一人、ローブを纏った人間だけが、静かに扉から立ち去った。
張り詰めた空気が場を包む。シャルロットはその場の人間達をぐるりと見た。何十人もの男女が、恭しく地に伏せている。シャルロットは何一つとして、状況を飲み込めてなどいなかった。しかしシャルロットは、この先の過酷な戦いを静かに予感していた。
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数年後。
「母上、帰ったぞ!」
「おかえりなさいませ、アドマイア様」
落ち着いた声の中年の女が、台所から顔を出す。そこにはハーブの混じった香ばしい香りが立ち込めていた。アドマイアと呼ばれた小さな少女は台所へ行き、女の手元を覗き込む。
「夕飯を作っているのか?」
「ええ、今日は鶏肉です。マナモさんからハーブをいただいたので、一緒に焼いてみているのですよ」
「おお、それは素晴らしいな! きっととても美味いに違いない!」
「ええ、きっと、間違いありません!」
女は笑顔で応えた。
「ではアドマイア様、準備にはもう少し時間がかかりそうですので、お部屋でお待ちに……」
「いいや、私も手伝おう。このスープを煮込めばよいのか?」
アドマイアが鍋に手を伸ばすと、女は慌てて声を上げた。
「おっ、おやめください、アドマイア様! いつも言っておりますが、貴方様にこんな雑事など……」
「いつも言っているが、私は母上の子であるぞ? 手伝いをするのは当然だと思うが」
「で、ですが……」
「私がやりたいのだ。よいだろう?」
「そこまでおっしゃるのなら……」
その時、中年の男も台所に入ってきた。
「エノラ、アドマイア様、私も一緒によろしいですか?」
「おお、父上! 父上も一緒にやってくれるのか! では母上、どうすればよい?」
「ううん……それならタリオ、貴方はサラダをお皿に盛り付けて……」
アドマイア、否、シャルロットは、死後、アドマイアとして、新たな土地で第二の生を受け、新たな両親の元で暮らしていた。新たな両親は子に恵まれない中年の夫婦であった。夫婦は身寄りのないアドマイアを喜んで引き受け、アドマイアに海よりも深い愛情を注ぎ続けた。
「しかし母上、父上。いつになったらその恭しい言葉遣いをやめてくれるのだ?」
「それだけはやめるわけにいきません! いい加減、慣れてください、アドマイア様!」
アドマイアには、シャルロットとしての、兵士としての、鮮明な記憶が残っていた。記憶はただの空想とは思えぬほどに詳細を極め、思考は子供と思えぬほどに成熟していた。四歳のある日、ついにアドマイアは両親にそのことを告げた。
両親は記憶の存在を否定しなかった。むしろ、積極的に肯定して見せた。
「そ うです、貴方はサリエという魔術師によって、遠い異世界からその魂を召喚されたのです」
両親は続けた。目的は邪悪な竜人を倒すこと。そのために、異世界から最強の戦士を呼び寄せたこと。その結果として、シャルロットが選ばれたということ。
アドマイアは自らの使命を受け入れた。なぜなら、アドマイアは自らが最強であることを知っていたから。そして、強さは弱き者を助けるために行使してこそ、価値があると信じていたから。
「アドマイア様は、わざわざこちらに来ていただいた身分なのですから、私たちがこの言葉遣いをやめるわけにはいかないのですよ!」
「別によいのにな……」
アドマイアにとって彼らは、恭しい態度その一点を除けば、穏やかで慈悲深い、この上なく素晴らしい 両親であった。アドマイアは両親に深く感謝していた。
アドマイアはその後も健やかに成長していった。特に、アドマイアの肉体的な成長は目を見張るものがあった。五歳で自らの身体より大きな猪を武器もなく仕留め、六歳で大木を引き抜き、七歳で巨大な岩を粉々に砕いた。それを見た村人達は、自分達が呼び寄せた魂が間違いなく最強の戦士であったことを確信し、宴を開いた。
しかしそんなものは、アドマイアにとって瑣末なことでしかなかった。それよりも重要だったのは、アテラとシノという親友の存在だった。
「アドマイア! 今日こそは剣術で貴様に勝ってやる!」
「もう、朝から元気だなぁアテラは……」
アテラは活発な性格の少女だった。彼女は体を動かすことを何よりも好み、顔を合わせる度にアドマイアに剣術の勝負を挑んでいた。また彼女の振る舞いは、アドマイアの勇ましい態度に憧れを抱き、真似たものだった。対照的にシノは、穏やかで争いを好まぬ性格の少年であった。二人はいずれもアドマイアと同じ年頃であり、彼女に遠慮することなく接する、数少ない存在だった。
「ああーッ! また負けた! どうしてお前はそんなにも強いのだ、アドマイア!」
「私には四十年と五年分の経験があるからな」
アドマイアは剣を軽やかに収めた。
「しかしお前も十分に強い。特に、お前の技術の飲み込みの速さにはいつも驚かされる。いつか、そう遠くないうちに私を追い越すだろう」
「俺も、横から見ていてそう思うよ」
「ううむ……」
アテラは納得のいかない様子で眉間に皺を寄せながら、剣をしまった。
アドマイアがふと思いついたように言う。
「アテラ、シノ、この後ドングリを集めに行かぬか?」
その提案に、アテラの表情がぱっと明るくなった。
「ドングリ集めの競争ならば負けないぞ、アドマイア!」
「アテラ……君ってやつは……」
「はっはっは! いいだろう、受けて立とう!」
アドマイアは笑った。肉体相応に振る舞うこともまた、彼女にとっては楽しい日常のひとつだった。
ひとしきりドングリを集め終えた三人は、森の湖畔に向かった。そこには三人の小さな木の家があった。それは彼らが三年かけて作り上げた、三人だけの家であり、彼らが秘密の話をする場であり、彼らだけの宝物をしまっておく場であり、彼らの絆の証であ り、彼らが愛してやまない場であった。
「見てくれよ、アドマイア、アテラ」
そう言うとシノは、部屋の隅にあった一抱えもある木の箱を持って二人に見せた。それは昨日までは部屋に無かった箱だった。箱の表面には、誰が見ても美しいと賞賛するような、繊細な蔦の模様が彫り込まれていた。アドマイアもアテラも、思わず目を見張った。
シノは言った。
「ドングリを入れるのに必要だろ? だから俺、作ってみたんだ」
「これをシノが彫ったのか!?」
「父さんの見様見真似だよ。初めてだから、変かもしれないけど……」
「謙遜するな! こんなに美しいものを作れるなど、シノは誠に天才だな!」
「その通りだ! その道に進めばきっと大成するぞ!」
「へへ……そうかな」
これをきっかけに、シノはその後も多くの彫刻作品を作り、才能を開花させていった。彼の才能は多くの村人に認められ、彼の作品をしきりに欲しがる者も現れた。三人の家にも彼の作品は増え続け、置き場を増やすための増設すら検討されたほどだった。
「なあアドマイア、アテラ、今度妹が生まれるかもしれないんだ」
ある日、いつものように三人の家で談笑している中で、ふいにシノが言った。
「妹が生まれたら、ここに連れてきてもいいかな?」
アドマイアとアテラは、溢れんばかりの笑顔で顔を見合わせ言った。
「もちろんだ!」
三人とも、新たな仲間の誕生が楽しみで仕方がなかった。
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アドマイア、九歳。
「すっ、すぐに渡しますから、あ、暴れることだけは……」
「暴れるなってテメー俺のことをなんだと思ってんだッコラーッ!」
「ヒィぃ!」
怒号とともに、屈強な男が女の胸ぐらを掴み上げた。男の服に袖は無く、片手には巨大な斧が握られている。その周囲には、同じく袖のない男が数人。彼らの腕には、点々とした鱗が浮かんでいる。村人達は、その様子を不安げにやや遠くから眺めることしかできない。
「竜人だ」
茂みの陰から見ていたシノが呟く。隣のアドマイアとアテラも頷いた。袖のない男達、竜人は、数ヶ月に一度の「取り立て」に来ていた。
村人の男が台車いっぱいの作物を運んでくる。
「こ、こちら、今回の収穫です……」
「ケッ、これだけかよ。しけてんなァ」
吐き捨てるように言いながら、竜人の一人が地面に向かって斧を振り下ろす。
「ヒッ」
辺りに不快な音が響き、地面に大きな 傷が刻まれた。アドマイアはその様子を睨みつけるように見る。
「今すぐにでも奴らを殴りにいきたい……」
「だめだよアドマイア、皆から止められているだろう」
「殴りたい気持ちは私も同じだが、ここは耐えよう」
「そうだよ、君はまだ九歳なんだから」
アドマイアが竜人の取り立てを見るのは、これが初めてではなかった。むしろ、彼女はあの醜悪な取り立てを何度も目にしてきた、
その度にアドマイアははらわたが煮えくり返り、その場を飛び出したい衝動に駆られた。しかしそうすることは村人の総意で固く禁じられていた。なぜな ら彼女は、村人達にとって、竜人対抗のための切り札だったからであった。
村人達は、アドマイアが誰よりも強いことを知っていた。しかし彼女の肉体はまだ子供であり、だからこそ、戦わせるわけにはいかないと考えた。村人達は、未だ成長しきっていないその身体で竜人たちに気づかれ、対策を講じられてしまうことを恐れた。あるいは、村人達の倫理観が子供に戦わせることを躊躇させた。
「いいですか、アドマイア様。あなたが十五歳の誕生日を迎えたその日こそ、私たちの反撃の時なのです。奴隷として捕らえられた者を救い出し、竜人どもを二度とこの地に踏み入れさせぬよう、徹底的に叩き潰すのです」
アドマイアはその言葉を幾度となく聞かされてきた。そして、アドマイアも納得していた。それでも、竜人が取り立てに来る様子は、何度見ても耐え難いものだった。
地面が揺れる。シノはすぐに、それがアドマイアの怒りによるものだと気がついた。竜人も揺れに気がついたようであったが、すぐに気にするのをやめた。
竜人は作物を確認すると、女を乱暴に地面へ放り投げ、去って行った。村人達は女に駆け寄り、怪我はないかとしきりに心配した。
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ここでアドマイアの愛すべき隣人について記述しておかねばならない!
メルレというふくよかな中年の女は、無類のボードゲーム好きであった。アドマイアがこの村に初めてボードゲームの概念を持ち込んだ時、誰よりも早くルールを理解し、誰よりも深くのめり込んだ。
今では自作のゲームを次々と生み出し、度々ゲームの大会を主催している。彼女のゲームは村人から深く愛され、次の新作はまだかと、日々心待ちにされていた。アドマイアもまた、彼女の作品の熱心な愛好者の一人だった。
ゾモという老齢の男は、この村で数少ない文字の読み書きができる人間だった。アドマイアは三歳の頃に彼のもとを訪ね、自ら学びを乞うた。この世界の言語は彼女の前世のものと異なり、習得には苦労を要したが、ゾモは根気強く教え続けた。
「昔はサリエという子供に教 えていたのですがね、あいつは今じゃ魔術師になって、村の外のどこかへ行ってしまいました。今じゃ文字を覚えたがる者など、貴方以外に誰もいません。皆、生きていくのに必要ないと言うのです」
ゾモは寂しげに笑った。それを見てアドマイアは、前世の文字文化の重要性を語り、それを村に広めて回った。今では子供から大人まで多くの村人が彼の元で文字を学び、元来教え好きである彼は、生き生きと毎日を過ごしていた。
その教え子の一人に、セトナという若い女がいた。常に暗い顔をしている女だった。星の観察を好み、星の運動について独自の理論を持っていたが、それを表現する術を持たず、また誰にも理解を得られないことを悩んでいた。
しかし文字を手にしたことで、彼女の人生は変わった。理論の執筆にのめり込み、家に引きこもったことで村人達から心配されたが、執筆を終えた彼女はいつ になく晴れやかな顔で広場に現れては何時間も小躍りし、皆を驚かせた。彼女はアドマイアに言った。
「アドマイア様、貴方は、文字は時空を越えると言いましたね。ようやくその意味がわかりました。私が死んでも思考は死なない。そう思うと、無性に生きる希望が溢れてきたのです」
カリエルという中年に差し掛かった男は、狩猟のリーダーであった。屈強な仲間達を連れて森へ狩りに出るのが日課であり、得た獲物は村人皆に分け与えた。彼自身屈強な男であり、村で唯一、腕相撲でアドマイアに勝ち目のある人間だと言われていた。(村ではしばしば、酒場で腕相撲大会が開かれた。)
カリエルは心優しく、皆から、特に子供によく好かれた。また、誰よりも真摯に獲物に向き合う人間だった。獲物が苦しんでいれば即座に苦痛を断ち、狩った命には必ず跪いて祈りを捧げる。仲間の狩人の中には彼の行いの意味を理解しない者もいたが、皆、彼の行いを尊重した。数度狩りに同行したアドマイアも、彼の姿勢に静かな敬意を払っていた。
ナファという若い女は、よく寝る人間だった。彼女はどこでも寝た。その中でも特に、川のほとりと家の前に作ったハンモックがお気に入りだった。鼻に蝶々が止まっても微動だにしない姿は、もはや村の名物と化していた。
勤勉な村人達は、彼女の姿を見ることで、休むことを忘れずにいられ、時に怠けることを、自分に対しても他人に対しても許すことができた。自分を追い詰めてまでしなければならない仕事など無いのだ。彼女自身、常に心に余裕を持ち、おおらかな性格をしていたことから、村の皆に好かれていた。アドマイアも彼女とは時折、川辺で雲を見ながら話をしていた。
マナモという女とその子供であるマルクという少年は、家族のいない子供たちの面倒をよく見ていた。この村の大人は定期的に竜人に奴隷として連れ去られるため、親のいない子供が多くいた。彼らの親は、時に皆の前で堂々と、時に皆の知らぬところで神隠しじみた手法で連れ去られた。
マナモの夫でありマルクの父親でもある男も竜人に連れ去られた人間の一人だった。マナモとマルクは、親を連れ去られ悲しみに暮れる子供達を愛で優しく包み込み、身の回りの世話を甲斐甲斐しく焼いた。子供達は二人に感謝し、アドマイアもそんな彼らの様子を見て、マナモとマルクに尊敬の念を抱いた。
彼らの他にも、アドマイアの周りは愛すべき隣人でいっぱいだった。畑に行けば勤勉な村人達が農作業に勤しみ、川に行けば釣りや洗濯をする者がおり、酒場に行けば愉快な村人達がいつも小さな宴を開いていた。アドマイアは、そんな彼らに溶け込み共に暮らすことを何より好み、彼らもまた、そんな彼女を心から歓迎した。
ある夜。
「セトナ、こんなところでどうしたのだ」
「星を見ていました。眠れないのです。アドマイア様こそどうされたのですか」
「散歩だ」
「ご両親が心配しますよ」
「かもな。勝手に抜け出したから」
アドマイアは笑った。それにつられてセトナも笑った。
「眠れないのなら、雑談に付き合ってくれないか。もちろん、邪魔でなければだが」
「邪魔だなんて、とんでもありません」
「それはよかった」
二人は空を見た。
「美しいな」
「ええ、本当に」
温かく優しい風が吹く。
「そういえば、お前の書いた星の文章、最後まで読ませてもらったぞ」
「どっ、どうでしたか!」
「面白かった。よく観察されているし、そこから導き出される考えも、私のような人間には到底思いつかないものだ。……完全に理解できているかは怪しいが」
「そっ、そうですよね。わ、わかりにくい、というか、意味わからないですよね、あんなの」
「是非とも持ち帰って、専門家に意見を聞きたいものだ」
「せんもんか……?」
「その道に誰よりも詳しい者だ。私の時代には、星の専門家がいたのだよ」
「そんな人たちが……」
「そのような者に聞けば、また違った意見が出されることだろう。お前のその文章は、そのような者に見られてこそ価値がある」
「そういうものでしょうか……」
「そうだ。すぐには出会えぬかもしれないが、いつかきっと出会えるに違いない。その時のために、お前の文章は大事にとっておくと良いだろう」
「は、はい!」
セトナは口元をほころばせながら、胸元で両手を握った。
その時、遠くから小さな明かりが近づいてきた。ランタンの明かりだった。明かりの主はアドマイアとセトナの元へ来ると、にこりと笑って片手を上げた。
「おや、アドマイア様にセトナではありませんか!」
「おお、ナファではないか!」
「ナファ! こんな夜に、どうしたの」
「さっき起きたとこだから、散歩してたんですよ。そしたらお二人の姿が見えたから来てみたんです」
「ほう、目が良いのだな」
「そ、それよりも、貴方一体どんな生活をしているのよ、ナファ! 人間は昼間に起きて夜に寝るものよ!」
「アンタだって夜なのに寝てないじゃないか、セトナ」
「うっ……」
「それよりも、お二人はなんの話してたんですか」
「セトナの書いた星の話だ」
「あー、そういえばそんなもの書いたって言ってましたね。どんな内容なんです?」
「そんなの、一言じゃ言えないわよ……」
「それはそうだな。お前も読んでみるといい、ナファ」
「いやー、私は読めないですよぉ」
「貴方もゾモさんのところで文字を習っていたじゃない」
「それはそうですけど……うーん、その、読み方は覚えましたよ? 読み方はわかるんですけど、それでも長い文章読もうとしたら、根気と集中が必要じゃないですか。で、そこまでいくと結局、教えてもらうんじゃなくて、自分で頑張るしかないじゃないですか。私には無理ですねぇ」
「んもう……」
「だからさ、喋って教えてよ、セトナ。話聞くのは得意だからさ」
「一日じゃ終わらないわよ……」
「それなら明日も来るよ。明後日も。どうせアンタは眠れないんだろう? そしたら私もこの時間に起きるようにするからさ」
「ナファ、貴方ってば……って、あら? アドマイア様寝ていない?」
「本当だ! やっぱこの時間は子供には無理だったかぁ」
「家まで連れて行ってあげましょう」
「そうだね。星の話はその後で」
「ええ」
別のある日。
「あら〜、アドマイア様!」
「おお、メルレ!」
「いいところで会えたわぁ! 実は昨日、新しいボードゲームを思いついて作ったんです!」
「なんと! それは素晴らしいな」
「もう、楽しくなっちゃって、一晩中寝ずに作っちゃったんですよぉ!」
「おお……それは……一刻も早く寝た方がいい……」
「それよりも、今日の夜、酒場でみんなとゲームするんです。よければアドマイア様もどうかしらと思って」
「おお、喜んで参加したい! お前の作るゲームは本当におもしろ……ん?」
「……アドマイア様?」
アドマイアがふと、視線を外した。
「アドマイア様?」
彼女は木陰をじっと見つめていた。
「見られている……誰かがそこにいるな」
「ええっ!」
「メルレ、悪いが少し見てくる。おい! そこにいる者よ! 出てこい、何を見ている!」
「アドマイア様!」
彼女はすぐさま木の陰に回り込んだ。しかし、そこには誰の姿もなかった。続いてやって来たメルレが心配そうに彼女を見る。アドマイアは小さく首をかしげた。
「確かに感じだのだが……」
「もしかして竜人でしょうか……?」
「しかし敵意は感じなかった」
「だったら精霊の類だったりして! 気になるなら、魔術師のサリエに聞いてみたらどうでしょう? ちょっと気難しいですが、なんでも教えてくれますよ!」
「そうだな。聞いてみるよ」
魔術師サリエの家は、森の奥、人どころか動物の影さえ感じられない場所に、ポツリと建っていた。アドマイアが扉を数度叩くと、中か らローブを纏った、男とも女ともつかない人間が現れた。アドマイアはこの人間こそがサリエだと直感した。アドマイアは、かつて自分がこの世界に召喚された日、この人間が儀式に参加していたのを覚えていた。
その人間はアドマイアを見ると、露骨に面倒くさそうな顔をし、言った。
「誰だ、何用だ」
「私はアドマイアという者だ。貴方がサリエだな? 今日は聞きたいことがあって来た」
アドマイアがそう言うと、その人間、サリエは、表情を変え、興味深げにじっとりとアドマイアを眺めた。
「ほう、アドマイア……あのアドマイアか。そういえば面影があるな。私が降霊の儀を執り行った、あのアドマイア……」
「ああ。貴方が私をこの世界に呼び寄せてくれたことは、両親から伝え聞いている」
「そうか。まあ、あの村人どもなら、お前が転生してやってきたことも話しているだろうな……」
「そうだ」
「それで、聞きたいことがあって来たのだったな。おおかた、自分の出自について話を聞きたいといったところか。お前の出自には語るべきことが多い……」
「いや、全然違うが」
「何?」
アドマイアは村で感じた視線の話をし、それが精霊の仕業かどうか尋ねた。するとサ リエは、思いきり顔をしかめた。
「お前……そんなことをわざわざ聞きに来たのか? 精霊なんぞが現実にいるわけがないだろう」
「何!? この世界に精霊はいないのか……!?」
「竜人じゃあないのか? 奴らは概して人間よりも身体能力が高い。お前に気づかれてから音も立てず逃げるなど造作もないだろう」
「ううむ……しかしなぜ?」
「知らん」
「そうか……」
アドマイアは一瞬沈黙してから言った。
「ありがとう、少し整理がついた。もしまた視線を感じたら、注意深く見てみるとしよう。幸い、敵意は感じなかったからな。では今日はこれで失礼する」
「はっ? なに? もう失礼されるのか?」
「お前も忙しいだろうからな」
そう言ってアドマイアは踵を返し、サリエの家を後にした。