ショコラと紅茶の魔法【10】
「ショコラくん、緊張してる?」
「あっ、えっ、はい!」
「ふふ、緊張してるね。大丈夫、俺がうしろから見ててあげるから」
「あ、ありがとうございます……」
廊下を歩きながら、アプリコットさんは、ぽんぽんと僕の肩を叩いてくれた。
「あ、今日はちゃんといるね」
そう言って、窓の外を見る。アプリコットさんの見る先には、学校の中でもひときわ大きい木にもたれかかって、本を読んでいるダイヤくんがいた。
風で白い髪が揺れて、キラキラと細かい光の粒が飛ぶ。僕は、どう思えばいいか、わからなかった。昔のかわいいダイヤくんが、一人でただゆっくり、大人しく、魔法使いの本を読んでいるだけにも見えたし、王子様になっちゃったダイヤくんが、周りの人全員をはねつけて、自分だけの世界を守っているようにも見えた。
「行こうか」
外に出ると、ダイヤくんの髪は、もっとキラキラして見えた。
アプリコットさんは耳元で、「ショコラくん、行けるかな?」と聞いてきた。僕は小さく「はい!」と答えた。アプリコットさんは、「うん、よかった」と言った。それからアプリコットさんは、さらにもう一個、質問をしてきた。
「ショコラくん、保健 室の特別な紅茶は、ちゃんと飲んでくれたんだよね?」
見上げると、アプリコットさんは、真剣な目でこっちをじっと見ていた。
え、保健室の紅茶?
僕は、ちょっと迷って、「はい、飲みました」と言ってしまった。いまさら、本当のことは言えなかった。
僕がそう言うと、アプリコットさんは「よかった」とにっこり笑った。
「あの紅茶には、恋が叶うおまじないがかけてあるんだよ。飲んだなら大丈夫。絶対、うまくいくよ」
そう言ってアプリコットさんは、「行ってらっしゃい!」と、僕の背中をポンと押した。僕はよろけて 、走るみたいに、飛び出してしまった。もう戻れなくて、僕はそのまま、決意を込めて、ズンズンとダイヤくんのところに歩いて行った。恥ずかしくてモジモジした気持ちは、どこかに行ってしまった。
ダイヤくん、久しぶり。ショコラだよ。覚えてる?
歩きながら、何回も、何回も、頭の中で言った。変な声が出ないようにしなきゃ。すらすら言えるようにしなきゃ。ああ、ドキドキする。本当にドキドキする。心臓が口から出ちゃいそう。でも、ドキドキが見られないように、抑えなきゃ。
「ダイヤくん」
気がついたら、僕は、ダイヤくんのすぐ前にいた。僕は、声を出した。ダイヤくんのまつ毛が揺れた。遠くの方で、小さく鳥の声が聞こえる。生徒たちの足音。風の音。木が揺れる音。時間が、ひどくゆっくりになってしまったみたいだった。
ダイヤくんが、顔を上げる。すっと光るまつ毛が動いて、ダイヤくんの銀色の目が、こっちを向く。銀色の目。百万点の宝石みたいな、銀色の目。光を受けて、こっちの頭がおかしくなっちゃいそうなくらいに、キラキラときらめく、銀色の……。
「ショコラくん……?」
ダイヤくんが、小さく目を見開いて、言った。耳の奥に、ビリビリと電気が走ったみたいだった。ああ、言って、くれた。ああ、見てくれた、呼んでくれた、覚えててくれた、ああ、よく見たら、あの時のままだ、よく聞いたら、あの時のまま、よく見たら、あの時の……。
その時だった。
ダイヤくんは突然下を向いて、激しく咳き込み始めた。
えっ。
何。
ダイヤくんは、とても人間のものとは思えないような声を出しながら、何回も咳をした。何回も、何回も体をびくりとさせて、
最後には、とても美しい、赤色の花を吐いた。
時間が、止まったみたいだった。
気がついたら、ダイヤくんは倒れていた。
気がついたら、周りにはたくさんの人がいた。
ショコラくん、大丈夫!?
アプリコットさんが、僕に言った。
僕は、わけがわからなかった。
「どけ、掃除の邪魔だ」
いつの間にかいたベリルさんの声で、僕はやっと、現実の世界に戻ってきた。
ダイヤくんは、たくさんの人に囲まれて、どこかへ運ばれていった。
・ ・ ・
僕は、保健室にいた。
僕、さっき、何見たんだろ。
……。
……赤かったな。すごく。
……。
「ショコラくん、紅茶いれたよ」
「アプリコットさん……」
赤い。
「ごめんなさい、飲めないです……」
「そっか。無理しないで」
アプリコットさんは、隣に座って、僕の背中をさすってくれた。
・ ・ ・
パジャマを着て、天井を見ていた。
白い、天井。
白い、白い。
このまま背中から、くの字に曲がって、沈んで、沈んで、どこまでも、世界の底に落ちていってしまいそう。
「ショコラくん」
モカくんの声がした。
「話、聞いたよ……」
僕は目だけを動かして、モカくんを見た。
「あの、ダイヤさんのこと……」
モカくんが、見ている。
揺れる、深緑の目。
深緑の、
友達の目。
「モカくん……」
僕は起き上がった。
「僕が汚いせいで、ダイヤくんが、ああなっちゃったのかな……?」
・ ・ ・
たぶん、そうじゃないよ。
花かぜのことが何もわからないと、何も言えないよ。
エクレアくんとか、フランボワーズさんとか、特にそう言いそうだよね。
でも、ショコラくんは、汚くないよ。
朝起きて一番に思い浮かんだのは、それだった。モカくんを見ると、また枕に足を置いてぐーすかと寝ている。僕はなんだか妙に愛おしくなってしまって、「ありがとう!」と叫んで、モカくんに抱きつきたくなってしまった。もちろん寝ている人にそんなことをするわけにはいかないので、僕は黙って見ていた。
そっか、そうだよね、まだ何もわからないよね。
エクレアくんとか、フランボワーズさんと か、僕が汚いせいでダイヤくんがああなっちゃったのかなとか言ったら、「まだダンゲンはできないよ」「情報が少なすぎる」とか言いそうだもんね。
モカくんも、汚くないよって、言ってくれたし。
本当は「僕のせいじゃないのかな」って、潰されそうになっちゃうけど、そうしたら、友達とか上級生のことを、ちゃんと見てないことになっちゃう。
それは、嫌だな。
教室に行ったら、エクレアくんがいつも通りにあいさつしてくれた。いつも通り、明るくて元気な声だった。もしかしたら、エクレアくん、昨日の事件、知らないのかな。そう思って僕が「昨日、ダイヤくんが……」と言うと、エクレアくんは「ああ、あのことね」と言った。知っているみたいだった。
「僕、昨日のことで、ショコラくんが傷ついちゃったのか、どうなのか、全然わかんなくて、なんかいつも通りにあいさつした方がいいのかなって思ったけど、わかんなくなっちゃった」
そう言ってエクレアくんは、肩をきゅっと縮めて「ごめんね!」と言った。僕は全然かまわなかったし、エクレアくんが考えていてくれたことが嬉しくて、「ううん、いいよ! 心配かけちゃって、僕もごめんね!」と言った。
それから、言った。
「ねえ、エクレアくん。僕も調査に混ぜて欲しいな」
ちゃんと、しっかり、本気が伝わるように、強く言ったつもりだった。でも、口から出てきた声は、変なふうに震えてしまっていた。
本当は、もっといろいろ言いたかった。ダイヤくんがどうしてああなっちゃったのか、僕も知りたい。ダイヤくんがああなっちゃったのに、じっとしているのはつらい。真実がわかれば、ダイヤくんは目を覚ますかもしれない。僕もダイヤくんのために何かしたい。
でも、全部、口から出てこない。
それでもエクレアくんは優しくて、
「ええー、嬉しいな! じゃあやろ!」
と、にっと笑ってくれた。それから、
「あの後ね、廊下で倒れてた青い人の横に落ちてた赤い花についてた水の液体成分が体液だったってことがわかって、だからこの事件は正式に花かぜあるいは花かぜに類似した症例 と見ていいことがわかって……」
と言って、僕は、「待って、わからないよ!」と言わなければならなかった。
・ ・ ・
「では君たちは、青い髪の被害者について調べてくれ」
図書館でフランボワーズさんは、椅子に座って、手を組んで、真面目な顔で言った。この日はジルコンさんはいなかった。
「彼の名前、所属、それからこれが一番大事だが、直近で怪しい行動がなかったか、彼の動向を調べて欲しいんだ」
「はい! わかりました!」
「ワタシは類似した症例がないかを調べる。花かぜ以外に、花かぜに似た症状を引き起こす原因があれば、直接のヒントになるはずだ」
「はい!」
エクレアくんは横で元気に返事しながら、さらさらとメモ帳に何かを書いている。僕はそれを見て、少しだけびっくりしてしまった。そんな、話を聞きながら文字を書くなんて器用なこと、僕にはできそうにない。
「ショコラくん、行こ!」
「うん!」
僕はエクレアくんと一緒に、図書館を出た。
「ねえエクレアくん、僕たちどうしたらいいのかな?」
「先生は知ってるだろうけど、教えてくれないだろうし……とりあえず、学生新聞の編集部に行ってみる?」
「うん! でも、なんで先生は教えてくれないんだろう……」
「プライバシーの問題だよ。倒れた人のこと、知らないところで勝手にいっぱい喋っちゃうのは、その人を人としてソンチョウしてないことになっちゃう」
「そっか……」
僕は納得しかけた。けれとすぐに、
「あれ、そしたら僕たちがやろうとしてること、あんまりよくないことなんじゃ……」
と気づいて、そうしたらエクレアくんは、「そうかも!」と言って、てへーって感じで笑った。えぇー。
でもエクレアくんはすぐに、「うーん、でも、ジャーナリストの人は、シンジツを調べて伝えるのが仕事だけど、そっちは悪くなさそうだよ」と、首をかたむけた。
「探偵の人も、おんなじようなことやってるし……うーん、これはパパに聞かないといけないかも!」
そう言ってエクレアくんは、一人で納得したみたいに、うんうんと言った。エクレアくん、置いてかないで欲しい…… 。
学生新聞の人がいる部屋に行くと、何人かの上級生がいた。みんな、新聞を読んだり、机に向かって何かを書いていたり、仕事みたいなことをしている。この部屋だけは、お庭とか教室みたいな、キラキラした感じじゃなくて、ちょっとホコリっぽくて、大人の人の仕事の場所の感じがした。僕は、ちっちゃい頃に、パパの仕事場に連れてこられて、強そうなおじさんやおばさんたちに囲まれた時みたいに緊張してしまった。
それでもエクレアくんは緊張している感じなんか全然見せないで、一人の上級生にズンズンと向かっていった。柔らかい、ミルクいっぱいのカフェオレみたいな髪をしている上級生だった。
「クラコットさん、今お話いいですか!」
クラコットさんと言われた上級生は、万年筆を持ったまま、すっと机から顔を上げた。さっきは前髪で顔が隠れていたけれど、顔を上げると、そばかすと、優しそうな目が出てきた。優しそうな目。だけ ど、ただ優しいだけじゃなくて、なんとなく、いっぱい考えている人の目みたいな感じがした。
「お……エクレア君じゃないか。どうしたんだい……?」
クラコットさんは少しだけ笑った顔をして、エクレアくんを見た。でも、なんだかすぐに消えてしまいそうな笑顔で、僕はちょっとだけ怖くて、少しうしろに下がって見ていた。
「クラコットさん、この前廊下で花を吐いて倒れた人がいましたよね。その人について聞きたいんです」
「ああ、サファイア君のことか……」
それからクラコットさんは、倒れた人がサファイアっていう名前であること、四年C組の人であることを教えてくれた。他にもなになにクラブに入っているとか、家族はどうとか、今は病院にいるとか、いろいろ教えてくれたけれ ど、僕はぽんやりしてしまって、あんまり頭に入ってこなかった。エクレアくんは熱心にメモを取っていた。途中でエクレアくんは「どうしてそんなに知ってるんですか?」と聞いて、「僕たちは新聞部だからね……君もでしょ……?」と返されて、「えへ……」と言ったりもしていた。
「ショコラくん、いろいろ聞けたね!」
エクレアくんはそう笑っていたけれど、僕は、もっと壮大で大変な調査が始まるものだと思っていたので、「あれ、こんなに簡単に、いろいろわかっちゃうの?」と思ってしまった。
「よし、ショコラくん。次はサファイアさんの、事件直前の動きを調べるよ!」
そう言ってエクレアくんは、ふんふんと張り切りながら、四年C組の教室に歩いていった。
「まずは教室にいる人 に話を聞こう。次はクラブの人。今は放課後だから、教室にはあんまり人がいないかも。明日、違う時間にもう一回行ってもいいかもしれないね」
エクレアくんは歩きながら、計画を教えてくれた。
すごい……エクレアくん、もうそんなことまで考えてるんだ。僕はエクレアくんの頭に、探偵の人のかっこいい帽子が乗っているところを想像してしまった。