ショコラと紅茶の魔法【11】
四年C組の教室には、何人かの上級生のグループがいた。上級生だから、やっぱり、キラキラしていて、ちょっと怖い。でも大丈夫だった。ちょっと昔の僕なら、怖くて固まってしまっていたかもしれないけれど、でも、この人たちはベリルさんよりも怖くないし、殺すぞとか言わなそうだし、何より、隣にはエクレアくんがいた。
「すみません、このクラスの人ですか? サファイアさんのことを聞きたいんです!」
エクレアくんはいつものようにズンズン進んでいって、上級生のグループに突撃していた。エクレアくんが話しかけると、一斉に上級生たちがこっちを見て、僕は思わずビクッとなってしまった。でも、すぐに「ジルコンさんよりは怖くないぞ」と思って、ドキドキするのはやめた。やめたと言っても、完璧にやめられたわけじゃないけど。
「君は……?」
「僕は一年A組のエクレアといいます! サファイアさんが花を吐いて倒れた事件がありましたよね? 事件の前に、サファイアさんがなにをしていたか、もしくはサファイアさんの周りで変わったことがなかったか、聞きたいんです!」
僕からも「お願いします……」とお願いした。すると上級生たちは、チラチラとお互いの顔を見て、それから、頷いて、一人の人が口を開いた。
「事件の直前になにしてたかは、僕たちも知らないよ……でも……」
「でも?」
「変わったことといえば、あの人、最近、アプリコットさんって人とよく会ってたな……」
……え?
「いや、僕たちも、詳しくは知らないよ。ただ最近、『よく話を聞いてもらってる』って、本人が言ってただけ」
「アプリコットさんって誰ですか?」
「僕たちもよく知らないよ。サファイアは優しい人って言ってたけど……」
「そうなんですね、他には……」
アプリコットさんが……?
「……ショコラくん?」
「あっ」
「大丈夫?」
「ごめん、ぼーっとしちゃった……」
「うん、いいよ! 次はアプリコットさんって人に話を聞きに行こ! でもアプリコットさんって、どこにいるんだろう……」
「エクレアくん、僕、アプリコットさん知ってるよ」
・ ・ ・
お庭に行くと、ラッキーなことに、すぐにアプリコットさんを見つけることができた。アプリコットさんは、木陰のテーブルで、一人で本を読んでいた。
「あのっ、アプリコットさん!」
僕が声をかけると、アプリコットさんはゆっくりと顔を上げた。いつもみたいな、綺麗な顔。でも、その顔は、いつもよりも暗い気がした。木陰だから……かな。
「ああ、ショコラくん……」
アプリコットさんは、小さく笑って、でも少しだけかすれたような 声で言った。やっぱり、白い肌は前よりずっと白く見えて、目にはうすい影がかかっているように見えた。
「ショコラくん、あのあとは大丈夫だった……?」
「あっ、はい、大丈夫です!」
本当はあんまり大丈夫なわけでもないけど、ついそう言っていた。
「あの、アプリコットさんも、大丈夫ですか? いつもより元気がないように見えます……」
「ああ、俺は大丈夫だよ」
アプリコットさんは、そうとしか言わなかった。それから、エクレアくんの方をチラリと見て言った。
「君は?」
「一年A組のエクレアです!」
「ふぅん、そう……」
アプリコットさんは、それしか言わなかった。それから、黙ってしまった。
あれ? アプリコットさんって、こんなに反応が薄い人だったっけ? こんなに、冷たい感じだったっけ? なんか、胸の辺りがザラザラする。
けれど、すぐに思い直した。アプリコットさんは体調が悪いだけかもしれない。大丈夫って言ってたけど、本当は大丈夫じゃないのかもしれない。
僕も、相手の人を嫌な気持ちにさせたくなくて、嘘ついちゃうことはあるし。
エクレアくんとアプリコットさんは知り合いじゃないから、僕がちゃんとしないといけないと思って、僕は前に出た。
「あの、アプリコットさん、僕たち、聞きたいことがあって来たんです」
「聞きたいこと?」
「サファイアさんっていう人のことで……」
「ああ、サファイアくん……」
アプリコットさんはつぶやいた。それから、「俺、今日はあんまり体調がよくないから、手短にね」と言って、パタンと本を閉じた。僕がチラッとエクレアくんを見ると、エクレ アくんは頷いて、メモ帳を開いた。エクレアくんは、バトンタッチしてくれるみたいだった。
エクレアくんは記者の人みたいな喋り方で言った。
「あなたとサファイアさんが、最近よく喋ってたのは、本当ですか?」
「ああ、本当だよ……」
アプリコットさんは、短くそう答えた。そこからもっと喋る感じはなかった。エクレアくんは続けた。
「サファイアさんとはどんな話をしてたんですか?」
「別に……くだらない雑談だよ……」
「サファイアさんとはどこで知り合ったんですか?」
「この庭で。どうやって知り合いになったかは……覚えてないな」
「事件の日、サファイアさんと会いましたか?」
「……会ったよ。でも、少し喋っただけ。いつもと何も変わらなかったよ」
「サファイアさんに何か様子のおかしいところはありませんでしたか?」
「……なかったんじゃないかな。ごめんね、俺もう体調悪いや。これで失礼するよ」
そう言うとアプリコットさんは、エクレアくんの返事を待たないで、立ち上がって しまった。
「あっ、待っ……いえ、お話ありがとうございました……」
エクレアくんはアプリコットさんの背中に言った。意外にも、エクレアくんはそれ以上、追っていかなかった。エクレアくんならもっと、追いかけていって、たくさん質問していってもおかしくないのに……と思ったけれど、そういえばエクレアくんは、僕が「困っちゃう」と言ったら素直に謝ってくれるし、僕が休んじゃった時も気にかけてくれたし、そういう子なのかもしれない。
アプリコットさんは、少しだけ背中を丸くして、お庭の外に歩いていった。僕はふと気になってしまって、アプリコットさんを呼び止めてしまった。
「ん……?」
アプリコットさんが振り返る。
「あの、えっと、サファイアさんって、何か悩んでいたんじゃないですか?」
「……」
「たとえば、僕みたいに……」
「人の悩みを勝手に喋るわけにはいかないな」
そう言ってアプリコットさんは、今度こそ前を向いて、歩いていってしまった。
僕たち二人はそれを見送って、それから、目を見合わせた。
「なんか、アプリコットさんって、クールな人だね」
「ううん、アプリコットさんって、ほんとはクールな人じゃないよ。もっと優しくて、僕みたいな下級生のこと気にかけてくれる、甘い感じの人だよ。あ、甘いって言っても、なんていうか、紅茶みたいな、お上品な甘さっていうか……」
「そうなの?」
「うん。だから、今日のアプリコットさんは、ちょっと様子がおかしく見えたかも……でも、アプリコットさん、体が弱いって言ってたから、今日は調子が悪かったのかも」
「なるほど、そうなんだ」
「でも僕、アプリコットさん、本当はもっといろんなこと喋ってくれると思う。もし僕がまたアプリコットさんと話せたら、もっと、いろんなこと聞いてみるね」
「いいの? じゃ、お願いしちゃう!」
・ ・ ・
……とは言ったけれど、次の日もその次の日も、いくらお庭をうろうろしても、アプリコットさんに会えることはなかった。スケッチブックを持って、何か描いているフリをしながら周りを見ていたけれど、やっぱりアプリコットさんはいなかった。
その代わり、ベリルさんと会えた。
「なんだお前、今日は虚無を描いてんのか? 哲学的だな……」
「あっ、ベリルさん!」
見上げると、帽子のツバを上げたベリルさんが見下ろしていた。ちょうど背中側に光が当たっているせいで、ベリルさんの顔は暗く見えた。でも、それのおかげで、ベリルさんの綺麗な青緑の目は、いつもよりはっきり見えた気がした。
「なに、お前スランプ?」
「あっ、えっと、違いますけど……」
「ふーん、まあなんでもいいけど……」
僕はちょっとだけ、「ベリルさん、あの時のこと心配してくれるかな」ってワクワクしたけれど、ベリルさんは全然そんなことしなくて、ちょっとだけがっかりしてしまった。でもすぐに、ベリルさんってそういう 人だよなって思い直した。
それよりベリルさんは、僕に、こんな話をしてきた。
「お前さ、ゲロ花が盗まれた件、なんか知らね?」
「え?」
ゲロ花? 盗まれた?
「いや別に、知らねえならいいわ……忘れてくれ」
「えっと、それは知らないですけど、そのお話、教えてほしいです!」
「なんで……」
「僕たち調査してるんです! だから、いっぱい情報がほしいんです!」
「あっそ……まあなんでもいいけど……」
そう言うとベリルさんは、僕の隣にしゃがんで、話し始めてくれた。
「お前の目の前で倒れた奴いただろ、あの白い髪の……」
「ダイヤくんです!」
「ああ、そうかよ……で、そのダイヤって奴……が吐いたゲロ花をさ、回収して、袋に入れて、廊下に置いといたわけ。わざわざ『触るな』って張り紙まではっ付けて」
「はぁ……でもなんで そんなことを……」
「上からの指示。廊下に置いとけっつわれたんだよ。ゲロ花、あとで医者に渡して、分析でもさせるつもりだったんじゃねえの? 知らねえけど」
「はぁ……」
「で、それが盗まれたって話だ……だから俺は、廊下なんかじゃなくて、どっか部屋ン中に入れといた方がいいだろって言ったんだけどな……まあいいや。そういうわけで、回収してから目を離した、そのちょっとの間に、ゲロ花が盗まれたってわけ……」
「そうなんですね……」
「ああ……」
僕は直感的に、これは何か大事な話だと思った。けれど、そこから 、何を言えばいいかわからなかった。エクレアくんなら、何か、鋭い質問をしてたのかもしれない。ここにエクレアくんがいたら、どれだけよかったことか……。
「ま、次からはなんか対策するよ……これで情報は十分か?」
「えっと、僕にはわからないんですけど、僕の友達に、こういう調査で質問するのが得意な子がいて、その子がいたら、もっと何か質問したかもしれないです……」
「ああそう……」
「その友達と話した後で、また、お話聞かせてほしくなるかもしれません……」
「別にいいけど……」
「ありがとうございます……」
僕がそう言うと、ベリルさんは「仕事戻るわ」と立ち上がった。それから、
「あのさ、子供だけであんま変なことすんなよ」
と、いつもよりはっきりした声で言った。
・ ・ ・
「ふむ、ゲロ花が盗まれた……と」
僕は次の日、エクレアくんを誘って、フランボワーズさんのところに行って、ベリルさんに聞いた話を伝えた。この日はジルコンさんもいた。
「これは示唆的だな。ゲロ花を分析されると、何かまずいのか。ゲロ花自体に手がかりがあるのか」
「分析って、そんなにいろいろわかるものなんですか?」
「わかることは多いんじゃないか? 私は医者ではないから詳しくは知らないがな。もしその方向で本格的に調べるなら、次の休日あたりに、外部の医者に直接話を聞きに行くとしよう。しかし……」
「しかし?」
「ダイヤ君以前に、もう既にゲロ花被害者は出ているのだろう? それも数名。彼らは医者にかかっているんじゃなかったか? であれば、今の時点で、症状の正体も原因も、わかっていておかしくないはずじゃないか? それなのに、まだ原因も治療法もわかっていないのだろう? これはどういうことだ?」
「さあ……」
そこでみんな、静かになってしまった。エクレアくんも、フランボワーズさんも、ジルコンさんも、何か考え込んでいるように、下を向いたり上を向いたりしている。僕も、何か考えようとした。えーと、えーっと……。
「ショコラ君、何か言いたいことでもあるのか?」
「えっ!」
突然、ジルコンさんが話しかけてきた。
「やけにソワソワしていると思ったのでな。気のせいなら、忘れてくれ」
「あっ、えっと……」
僕はちょっと迷って、でも最後には何か言った方がいいと思って、思ったことを言ってみることにした。
「あの、変な話かもしれないですけど、ゲロ……その吐いちゃった花を、もしかしたら犯人の人は、分析とかじゃなくて、普通に欲しいと思っちゃったのかもしれないです……」
「ほう?」
フランボワーズさんは身を乗り出してきた。僕はつい後ろに一歩下がってしまったけれど、踏ん張って続きを喋った。
「えっと、僕ならこう って思っただけなんですけど、その、ダイヤくんのお花、綺麗で、ちょっと欲しいと思っちゃった気持ちがあるというか……だから、犯人の人も、そういうことを思ってるかもしれないなって思ったというか……」
そこまで言って、みんながおかしいくらいに静かになっているのに気づいて、そのあと、僕は自分で自分が何かとんでもないことを言ってしまったことに気がついた。
「あっ」
みんなの目が、刺さるくらいに痛い。
「えっと……」
顔が、沸騰しそうなくらい熱くなっていく。
「すみません、忘れてください、今の……」
「素晴らしい! 君は加害者心理の推測がうまいな!」
「えっ」
フランボワーズさんは手を組みながら、ニコリと笑った。横でジルコンさんが、「そんな言い方をするものではない」と小さく言った。フランボワーズさんは続けた。
「もちろん、君の説をそのまま採用するわけではない。しかし、少なくとも今われわれの中に、一つの新しい方向性が生まれた。ゲロ花そのものに価値があると。その価値が、審美の話である可能性すらあると。君は新しい視点をわれわれにもたらした。君、誇るといい!」
そう言ってフランボワーズさんはカラカラと笑った。ジルコンさんは「お前はいちいち大袈裟だな」とため息をついた。エクレアくんは、隣で「よかったね!」と言ってくれた。
僕、役に立てた……?
急に、胸の奥がポカポカしてきた。さっき恥ずかしいことを言ってしまったとか、全部、吹き飛んで大丈夫になった。