ショコラと紅茶の魔法【12】
夜ごはんとシャワーの後、僕はふわふわのパジャマを着て、ベッドの上でぼんやりしていた。
今日、褒められちゃった……。
「うー……」
なんでか妙に心臓がきゅんきゅんして、僕はベッドの上で丸まってしまった。きゅんきゅんするのって、恋だけじゃないんだ。そんなお話、どこにも書いてなかったのに!
「ただいま」
「あっ」
モカくんだ。モカくんの声で急に現実に戻された。
「おかえりモカく……モカくん!?」
「まあ、びっくりするよね。知ってたよ。面白いよね。笑っていいよ」
「え、えぇー……」
なんとモカくんは、鼻の下に、ちょこんと絆創膏を貼っていた。なんだかお髭みたいで、でもビスコッティ先生のお髭っていう感じでもなくて、どっちかって言うと、昔、劇場で見た芸人の人みたいで、笑っちゃダメなのに、つい、ふふっと、笑いそうになってしまう。モカくんはムスッとした顔をしているから、余計に……。
「ショコラくん、変な顔になってるよ!」
「へっ、ふふっ、ごめん…… 」
「んん、やっぱり面白いよね! 上級生にもいろいろ言われたし! 『モカ坊はわんぱく小僧みたいになっちゃったな!』って!」
「あ、わんぱく小僧……」
そっか、そっちの見方もあるんだ。
「ていうか、モカくんって、モカ坊って呼ばれてるの!?」
「そうだよ。上級生が言ってきたんだ」
「モカくん嫌じゃないの?」
「別に大丈夫だよ。別の上級生にも『嫌なら嫌って言 っていいんだからね!?』ってさんざん聞かれたけど、わざわざ嫌って言うほどのことでもないからね」
「へぇ……そうなんだ……」
なんか、僕の知らないモカくんがいる……と思ったけれど、入学最初の日もパパと揉めてたし、購買のお兄さんにも絡まれてたし、モカくんって、大人の人に構われやすい子なのかもしれない。
「それより、モカくん、その怪我どうしたの?」
「クラブでフットボールやってた時に転んじゃったんだ」
「い、痛そう……」
「別に怪我自体は、大したことはないよ。それより、なんでこんなところ擦りむいちゃ ったんだろうっていう方が……うん……一週間もあれば治るんだろうけど……なんか、髭みたいで……」
あ、やっぱりモカくんも、お髭みたいだって思ってたんだ。
「早く治るといいね」
「うん、ありがとう」
それから僕は、今日の調査の結果をモカくんに報告した。今日は、フランボワーズさんたちと、なんで吐いたお花が盗まれちゃったんだろうって話をしたこと。ちょっと照れ臭かったけど、嬉しかったから、僕が褒めてもらえたことも話しちゃった。モカくんは「すごいね!」と言ってくれた。
・ ・ ・
土曜日。僕は、パパの車に乗って、ちょっと遠くの病院に向かっていた。ダイヤくんに会うためだった。
ダイヤくんが倒れた後、ダイヤくんはそのまますぐに病院に運ばれたらしい。もちろんそのことは、すぐにダイヤくんの家族の人たちに伝えられた。それで、さらにそれが、僕のパパにも伝わって、僕がダイヤくんに会えなくて寂しいんじゃないかって心配してくれたみたい。ダイヤくんの家族の人たちも、ショコラくんならぜひ会って欲しいと言ってくれているらしい。それで、学校にいる僕に、ダイヤくんに会いたかったら病院まで連れて行ってあげるからねと、パパが連絡してきてくれたのだった。
「会えるって言っても、ダイヤくんはまだ眠ってるんだけどね……」
パパはそう言っていた。
最初に連絡が来た時、僕は、ちょっと迷ってしまった。もちろんダイヤくんには会いたい。けれど、自分が眠っている間に誰かが来て、勝手に見られていくなんて、そんなことされたら嫌なんじゃないかなって、思ってしまった。僕だったら、寝ているところをパパやお医者さん以外に見られるのは恥ずかしくて嫌かもしれない。少なくともダイヤくんに見られるのは、絶対に恥ずかしい。
それに、ちょっとだけ怖かった。怖いって言っても、何が怖いのかは、わからなかったけれど。
一週間くらい悩んで、悩んで、悩んだ結果、最後には「行きたい」って言ってしまった。会いたい気持ちの方が勝ってしまった。話せなくても、もう一回、ダイヤくんのところに行きたいと思ってしまった。ダイヤくんの手を、ぎゅってしたいなって……。
僕って、悪い子なのかな。
「ショコラ、見えてきたよ。あの大きい建物が病院だね」
「あっ、うん!」
窓の外を見ると、白くて、大きくて、平べったい、窓がいっぱい並んだ建物があった。全部を飲み込んじゃいそうな、おっきな生き物みたいだと思ったけれど、今日は黙っていた。
「ああ、ショコラくん、来てくれたんだねぇ!」
病院の入り口に行くと、偶然、ダイヤくんのパパに会えた。ダイヤくんのママはお仕事で今日はいないみたいだった。
「ショコラくんがお見舞いに来てくれたなんて、ダイヤもきっと、嬉しいはずだよ。さ、こっちです。ダイヤの部屋は三階にあるんで す」
そう言って、ダイヤくんのパパは、僕たち二人を案内してくれた。
ねえ、本当に行っていいの?
本当にいいのかな?
本当に。
「あのっ」
ダイヤくんのパパが、ドアに手をかけるところだった。二人が「ん?」と、優しい顔でこっちを見る。
「どうしたのかな?」
「僕、やっぱり、ダイヤくんには会わない方がいいと思います……」
そう言うと、二人はびっくりした顔で、小さく目を見開いた。
「ショコラ、どうしてそう思ったんだい?」
「寝てるところを、勝手に友達に見られたら、嫌かなって……」
言いながら、やっぱり僕は変なことを言ってしまったんじゃないかと思って、声がしおしおとしぼんでいってしまった。でも、「やっぱりなんでもないです」って言うのも違うと思った。パパたちは二人で目を見合わせて、それからもう一回僕を見て、言った。
「そうか、ショコラはそう思うんだね。たしかに、ショコラの言うとおり、ダイヤくんはそう思うかもしれないね。パパ、気づいていなかったよ 」
「うーん、ダイヤは喜ぶと思ったけどなあ。まあでも、ダイヤに聞かないとわからないかあ……」
そう言ってもう一回、パパたちはお互いの顔を見ると、また僕の方を見て、「ショコラがそう思うなら、今日はやめておこうか」と言った。
本当に、よかったのかな、これで。
僕たちは代わりに、お見舞いのメッセージカードを書くことにした。ダイヤくんが目を覚ました時に、読んでくれたら嬉しいなって。
一生懸命、いっぱい、いっぱい考えて、結局、
「ダイヤくん、元気になってね」
としか書けなかった。
帰りの車の中で、僕はずっとぐるぐるしていた。本当に顔を見なくてよかったんだろうか。本当に、行かなくてよかったんだろうか。行っていれば、僕はダイヤくんの手をぎゅっとできたかも……いや、そんなの、僕がやりたいだけじゃないか。顔を見たいとか、そんなのも全部、僕がやりたいだけじゃないか。
そっか、そうだ、今、わかった。僕がダイヤくんを見たら、うっとりしちゃうかもしれないからだ。病気で眠っている人にうっとりしちゃったら、僕は本当に、僕のことが嫌になっちゃうかもしれないからだ。
僕は世紀の大発見をした気分になった。でもこの発見は、他の人に言うにはちょっとだけ恥ずかしかったから、自分の中だけにしまっておくことにした。パパの横顔が、お昼の光に当てられて、白くなっていた。
・ ・ ・
「あれ? 今日フランボワーズさんいないの?」
次の月曜日の放課後、僕とエクレアくんは図書館に行った。けれど、フランボワーズさんもジルコンさんも、この日はいなかった。
「いつもこのへんの席に座ってるよね?」
「他の席にもいなさそうだよ」
「まあー、フランボワーズさんもジルコンさんも、あんなだけど普通の生徒の人だし、いない日くらいあるかあ」
次の日も行ったけれど、やっぱり二人はいなかった。
・ ・ ・
この日は、僕は、お庭をうろうろ歩き回っていた。
そうしたら、会えた。アプリコットさんに。
「ショコ ラくん、また会えたね」
アプリコットさんは木に寄りかかって、コテっと首をかしげて、ひらひらと手を振っていた。いつもみたいに笑っていたけど、いつもより弱い笑顔に見えた気がした。
「この前はごめんね。体調が悪くて、そっけない態度とっちゃった」
「あっ、いえっ、そんなの、全然大丈夫です……」
いきなり謝られて、僕はちょっとびっくりしてしまった。アプリコットさんは申し訳なさそうな顔をしている。そんな、体調が悪い時なんて誰にでもあるんだから、謝らなくていいのに……。アプリコットさんにそんな顔をさせてしまって、僕は逆に申し訳なくなってしまった。
「アプリコットさん、もしかして今日も体調悪いですか……?」
「うーん、ちょっとね。でもこの前ほどじゃないよ」
「そうですか……それならよかったです……」
「うん、心配してくれてありがとうね」
「あの」
「ん?」
僕は少しだけ勇気を出して、言ってみた。
「この後、一緒にお茶しませんか?」
僕たちはテキパキとお茶の用意をして、木陰のテーブルに座った。もう、お茶の用意にも慣れていた。この日はアプリコットさんの提案で、カモミールティーというお茶にした。
「あんまり赤くない方がいいかなって」
って、アプリコットさんは笑っていた。僕はすぐに、ダイヤくんが吐いちゃった時のことを気にしてくれているんだとわかった。アプリコットさん、気にしてくれたんだ。僕はちょっと胸がほかほかしてしまった。
「ショコラくん、あのあとは大丈夫だった?」
「あのあとって……」
「ダイヤくんが倒れちゃったあと。もちろんダイヤくんも深刻だけど、ショコラくんも、ショックだったでしょう?」
「あ、はい……」
「倒れちゃった本人は、周りの人にもお医者さんにも、いろんな人に見てもらえるけど。目撃しちゃった側の心はあんまり見てもらえないものだからね。本人ですらも、わからなかったりするし」
「そう……かもしれないです」
そっか、あの時のショックって、ちゃんと見てもらってよかったものだったんだ。
「俺ね、あのあと心配してたんだよ」
「……ありがとうございます」
「ま、そしたら、エクレアくん……だっけ? お友達と探偵みたいに聞き込み調査に来たから、びっくりしちゃったけど」
そう言ってアプリコットさんは、ふふ、と猫ちゃんみたいに笑った。
「そういえば、あのあとダイヤくんには会った?」
「会って……ないです」
「そうなんだ?」
「本当は、病院には行って、ドアの前までは行ったんですけど……やっぱり、寝てる人の顔を勝手に見るのは、よくないかなって思って……」
「ふぅん?」
そう言うとアプリコットさんは、カップを持ったまま、片方の眉毛をすっと上げた。
「ショコラくんが、そう思ったの?」
「はい……」
「そっか」
アプリコットさんは紅茶を一口飲んだ。それからカップを置いて言った。
「俺は、会える時に会っておいた方がいいと思うけどね。人間、いつ死んじゃうかわからないから」
「えっ……」
「まあ、花かぜの症状は今のところ、眠るだけで死にはしないから、大丈夫なんだろうけどね」
えっ。
死んじゃう? 今、死んじゃうって言った?
「ああ、ごめんごめん、いきなり重いこと言っちゃったね」
「あ、いえ……」
「でも、大事なことだから」
そう言うとアプリコットさんは、目を伏せて小さく笑った。僕の心臓は、いつの間にかドキドキしていた。自分でも意外だった。死んじゃうって言葉 が、そんなに、怖いものだったなんて……。
でも、いきなりそんなことを言ってくるってことは、アプリコットさんにとって、本当に大事なことなんだろう。それなら、僕もちゃんと向き合わないといけない……よね。
「あの、もしかして、アプリコットさんの大事な人が、死んじゃったんですか?」
僕がそう聞くと、アプリコットさんは、少し驚いたように小さく目を見開いた。それからすぐに、いつもの落ち着いた顔に戻って、「ううん」と首を振った。
「俺の大事な人が死んだわけじゃないよ。でも、俺とよく話してた子の大事な人が死んじゃったんだ。事故だったかな。その子があんまりにも、その人のことたくさん、楽しそうに話すから、死んじゃった時は、俺も自分のことみたいに悲しくなっちゃったかな……ああ、そういう意味では、俺の大事な人が死んじゃったって言えるかもしれないね」
そう言ってアプリコットさんは、寂しそうに笑った。
……いや、本当に、寂しそうって言っていいのかな。僕にはもっと、複雑な大人の感情があるように見えた。
シン、と、静かな空気が流れた。僕は、この空気は壊しちゃいけないと思った。壊しちゃいけないと思って、静かに、音を立てないように紅茶を飲んだのだけど、そうしたらアプリコットさんが、
「ごめんね、しんみりした空気になっちゃった。何か別の話をしようか」
と明るい声で言った。それから、「そうだな、なんの話をしようか」と小さく言ったので、僕は、
「じゃあ、あの、サファイアさんのこと、聞きたいです……」
と言ってみた。それから「この前はアプリコットさん、体調悪そうで、あんまり聞けなかったから……」とも付け足した。
けれどアプリコットさんは、
「サファイア君のことは、この前話したことが全部だよ。俺たちは最近よく喋ってたけど、本当に、大したことは喋ってないんだ。ちょっとした恋の相談に乗ってただけ。事件の日も会ってたけど、それはまだ夕方の話。サファイア君が倒れたっていう夜のことは、何も知らないな」
と言うだけだった。