ショコラと紅茶の魔法【16】
この日はエクレアくんのアドバイス通り、僕は怪異を警戒して、図書館に行った。特に読みたい本はなかったけれど、なんとなく、前に手にとった「トポロジー入門」のことが頭に浮かんで、もう一回読んでみようと思った。今日はなんだか読める気がした。
けれど、棚にトポロジー入門は置いていなくて、代わりにあったのは、「トポロジー入門・2」と「トポロジー入門・3」だけだった。仕方なく僕は、「トポロジー入門・2」を読むことにした。
トポロジー入門・2は、両手で抱えなければならないくらい大きい本だったので、机に運んで、ゆっくり読むことにした。ちょうどすみっこの席が空いているのを見つけたので、そこに座ることにした。
それで、がんばるぞと、本を開いた時だった。
「ん……?」
表紙の裏から、紙が出てきた。薄い茶色のカサカサした紙で、二つに折りたたんである。なんだろうと思って開いてみたら、どうやらそれは、お手紙のようだった。
「おてがみっ!」
僕はいそいで紙を閉じた。誰かのお手紙なんて、勝手に見ていいわけがないから!
「あぶなかった……」
僕はすんでのところで、お手紙を見ずに済んだ。
僕はそっと、お手紙を裏表紙の裏側にはさんで、今度こそトポロジー入門・2を読もうと思った。けれど、その時、ふと頭の中に声が響いた。
「ペリドットって誰だ」
ベリルさんの低い声だった。お花を盗もうとした、茶色い髪の生徒の人。その人を捕まえた時の、ベリルさん。その人が言った、ペリドットっていう人。
「手紙で! 手紙でやりとりしてたんです!」
犯人の人、お手紙でしか知らないって言ってたな……。
そのうちに、僕の中に、ある一つの恐ろしい考えが浮かんでしまった。僕が今閉じた手紙の差出人の人は、もしかして、ペリドットさんなんじゃないか。もしそうなら、僕は、一人で事件の真相に近づいてしまうんじゃないか……!
僕は手紙の中身を見てしまおうかと思った。 それで、裏表紙の裏にはさんだ紙を、もう一回取り出した。それで、ゆっくり開きかけた……けれど、文字がチラッと見えたところでやめてしまった。だって、全然関係ない人のお手紙だったら、大変だから……。
でも、このお手紙が、犯人の人の手がかりになるんだとしたら、見ないで無視しちゃう方が大変なのかな。
……。
見ちゃえ!
僕はいきおいよく紙を開いた! それで、中身を読んでみたら、こんなだった。
「クォーツさんへ。クォーツさんのプレゼント、受け取りました。ちっちゃい箱に入っていたから、なんだろうって思ったんですが、中身は紅茶だったんですね。ビンまでかわいくて、びっくりしちゃいました。それで、もう、さっそく飲んでみたんですが、甘くて、でもちょっとすっぱくて、不思議な味がして、すっごくおいしかったです! ちょっとしか入ってないのがもったいないくらいです。ゆっくり飲んでいこうと思います。今度は僕がクォーツさんにプレゼントをしたいです。クォーツさんがプレゼントを置いておいてくれた場所と同じ、お庭の木陰に、僕のプレゼントを置いておきます。茶色の箱に、水色のリボンが目印です。受け取ってくれると嬉しいです。P.S.今はお手紙だけのやり取りだけど、いつか顔を見られたらいいなって、思ってます。ローズより」
関係なさそうなお手紙だった。
・ ・ ・
次の日。
「大変大変! またゲロ花被害が出たんだって!」
教室でエクレアくんが、教えてくれた。
「えっ、また……?」
「そう! 今日の放課後、フランボワーズさんに相談してみよ!」
「うん!」
放課後にフランボワーズさんのところに行くと、フランボワーズさんは「ふむ」と言った後に、「被害者の名前と所属はわかるかね?」と聞いてきた。そうしたらエクレアくんは、
「二年A組の、ローズさんっていう人です!」
って言った。
それを聞いてフランボワーズさんは、「ワタシの知る人間ではないな……」と言った。けれど、僕は、なんだかその名前に見覚えがあった。
ローズさん、ローズさん……。
手紙の人だ。
「僕、ローズさん、知ってます!」
「何?」
「あっ、知ってるって言っても、昨日たまたまその人のお手紙を見ちゃっただけなんですけど……」
「良い。続けてくれ」
それから僕は、トポロジー入門・2の中にお手紙が挟んであったこと、お手紙の相手はクォーツさんっていう人であること、プレゼントのやり取りをしていたこと、それと、紅茶がかわいくておいしかったみたいな話をしていたことを伝えた。
「ふむ。かわいらしい手紙だな」
「はい……」
「甘酸っぱい青春の匂いがする」
「はい……」
「その紅茶が毒入りである可能性は?」
「……わからないです」
「そうだな」
そう言ってフランボワーズさんは、手を組んであごを乗せると、ぼんやりと上の方を見た。
「あの、僕、もしかしたらペリドットさんかもしれないと思って、お手紙の中身を見ちゃったんですけど……」
「いや、そのクォーツとやらがペリドットと同一人物である可能性はあるぞ」
「あるんですか……?」
「ペリドットは偽名なんだろう? 一度事件と結び付けられた偽名をそう何度も使い回すほど、犯人はアホではないだろうからな」
「でもベリルさんに捕まった人はアホでした」
「アホもいれば、アホでない者もいる。世界とはそういうものだ」
「はぁ……」
そう言うと、フランボワーズさんはもう一回、ぼんやりと上の方を見た。それから、言った。
「そのクォーツとやら、われわれがローズのフリをして手紙を書けば、釣れるだろうか……」
「どういうことですか?」
エクレアくんがすかさず聞いた。
「そのままの意味だ。クォーツが事件関係者だった場合、われわれがローズのフリをしてうまいこと手紙を書き、トポロジー入門・2に滑り込ませれば、クォーツから情報を引き出せるのではないか」
「でも事件関係者だったら、ローズさんが倒れたことも知ってるんじゃないですか? 僕たちがローズですって名乗っても、バレちゃうと思うんですけど」
「それは十分にあり得る。ただ、そうだからと言って手放すには惜しい情報源だ。『なんか、ローズって人が倒れちゃったらしいですね! 自分と同じ名前の人が倒れちゃったって聞いて、怖いです〜』あるいは『僕、ローズってペンネーム使ってたんですけど、被害者の名前と被っちゃったみたいですね〜わはは』のようなことを言って釣れない可能性はゼロではない。それに、この学園に『トポロジー入門・2』などのような本を手に取る酔狂な人間はなかなかいないだろうからな、『トポロジー入門・2』に手紙が挟んであることそれ自体が、強い本人証明になるだろう」
えっ、トポロジー入門・2を読むのって、変だったの……。
「あと、クォーツさんも本物ローズさんも事件に全然関係ない人だったら……」
「その時は文通友達が一人増えるだけだ」
そっか、それならリスクゼロ……そうかな?
「ショコラくん、君が手紙を書いてみるか?」
「えっ!」
突然僕の名前を呼ばれて、ビクッとしてしまった。けれどフランボワーズさんは全 然気にしていないように、「文体模倣は得意かね?」なんて聞いてきた。
「わ、わからないです……」
「カハハ、それはそうか。この歳で文体模倣経験がある者など、たとえ作家志望だとしてもそうそういなかろうな」
「あ……はい……」
「まあショコラくんも忙しいだろうからな、興味がなければ別にいいのだ。それならワタシが書くだけだが……」
「あっ、えっと、僕、やってみたいです!」
僕は、気がついたら、あんまり考えないで言っていた。
「ほう、やってくれるのか」
「はい……」
フランボワーズさんは、少し驚いたように目を大きく開いた。僕はそれを見て、ちょっとだけ恥ずかしくなってしまった。
けれど、せっかく役に立てるなら、役に立ちたいなとか、ここで言わなかったら、フランボワーズさんは僕が迷っているのなんか待たないで、普通に自分でやり始めてしまうだろうなとか、頭の中にはいろんな理由があった。
それを言おうか迷っていたら、フランボワーズさんはにっこりと笑って、「よい、よい」とうなずいた。それから、
「添削はワタシがやる。ショコラくんは、第一稿を書いて持ってきてくれ」
と言った。
・ ・ ・
夜、僕は自分の部屋の机で、うんうん言いながら頭をひねっていた。
クォーツさん、紅茶おいしかったです。ローズさんっていう人が倒れちゃったみたいで、僕と同じ名前なのでびっくりしちゃいました。お手紙に使う紙とペンを変えてみたんですけど、これはただ気分で変えてみただけで、別に深い意味はなくて……。
「うーん、なんか違うなあ」
僕は下書きの紙を丸めて、ポイっと投げた。それから、やっぱり投げるのはよくなかったかなと思って、拾ってゴミ箱に捨て直した。
そんなことをやっていたら、モカくんが帰ってきて、「ショコラくん、何してるの?」と聞いてくれた。
「えっとね……」
僕はモカくんに、今日の話……僕がローズさんのフリをしてクォーツさんに手紙を書くことになったっていう話をした。モカくんは、「それ、バレたら本当にまずいんじゃない……?」と、ミケンにしわをよせていた。それから、「ショコラくん、何かあったら、ちゃんとフランボワーズさんに言うんだよ。フランボワーズさんが責任を取るはずなんだからね」と言ってくれた。モカくん、本当にお兄ちゃんみたい。もしモカくんがお寝坊な子じゃなかったら、僕はモカくんのことを、友達じゃなくて、頼れるお兄ちゃんだと本当に思ってしまっていたのだろう……モカくんがお寝坊な子でよかった……。
それから結局、寝る直前までお手紙を書いて、できあがったのはこんなだった。
クォーツさん。お元気ですか? 僕は元気です。僕はこのまえ、お庭のバラの上で、いもむしが二匹仲良しそうに歩いていたのを見つけて、ほかほかしちゃいました。このまえ学校の中で事件がありましたね。ローズさんっていう人が倒れちゃったみたいで、僕と同じ名前だったのでびっくりしちゃいました。ちょっと怖いです。クォーツさんは大丈夫でしたか? お返事くれると嬉しいです。ローズ。
「うーん、これでいいのかなあ……」
僕は書き上がった紙を透かして見た。下書きから清書してみたらいい感じになるかなと思ったけど、きれいなペンで書いても、いいのか悪いのかよくわからなかった。
「もっと書き直した方がいいかなあ……」
でも眠いなあ……と思って時計を見たら、もう十一時になってしまっていた。
「もうこんな時間!」
僕はいそいで電気を消して、布団にもぐった。モカくんはもう寝ていたみたいで、ちょっと遠くから寝息が聞こえた。
・ ・ ・
「ふむ……」
次の日、僕はフランボワーズさんにお手紙を見せに行った。フランボワーズさんと二人で話すのは緊張するから、本当はエクレアくんにも来てほしいと思ったけれど、あんまりエクレアくんに頼ってばっかりじゃいけないと思って、一人で来たのだった。
それで、お手紙を渡したら、フランボワーズさんは顎に手を当てて、じっくり考えるように読み始めた。
そんなに、読むのに時間がかかるのかな……。
なんだかものすごく長い時間読まれているみたいな感じがして、僕はソワソワしてしまった。まだかな、まだかな、と思っていたら、フランボワーズさんは顔を上げて、「うむ 、非常に良いぞ」と、にっこり笑ってくれた。あ、よかった……。
「年相応で愛らしく、相手への気遣いもあり、非常に感じの良い文章だ。特にいもむしというディテールが効いている」
「あっ、いもむしは本当に見たやつです……」
「そうか。それならなおのこと良い。具体描写には事実を乗せることが効くからな。それから、ローズに触れているのも重要だ。事件の存在を把握していることを示しつつ、あくまで自分はそこに無関係であると主張しているわけだ」
「あの、これ、ちょっと迷っていて、事件に関係ないっていう設定なら、わざわざ事件に触れなくてもいいっていうか、触れない方が自然かもしれないって思ったりもしたんですけど……」
「うむ、それも一理ある。ローズの人間性によっては、むしろそちらの方が正しい。しかしわれわれはローズの人間性を知らない。であれば、どちらがそれらしいかを考えても仕方のないことだ。それよりも、情報を出したくなるかどうかを最大化することに集中した方がいい。その意味で、今の文章は悪くないと思うぞ」
「はぁ……」
「それと、次からは下書き段階で見せてくれて構わない」
「あっ、はい! そうですよね!」
僕は急に、顔がカッと熱くなってしまった。テンサクされるってわかってるのに、いきなり清書したやつを出しちゃうなんて、そんなのはおかしいって、ちゃんと考えればわかるはずなのに! フランボワーズさんは小さく「君は恥ずかしがるポイントが独特だな」と言って、それでまた僕は恥ずかしくなってしまった。
「ふふ、まあ良い。では早速、手紙を本に挟もうか」
「はい!」
「トポロジー入門・2だったな。となると、あのへんの棚か」
「あっ、僕、案内できます!」
「ふむ、では頼もうか」
そう言ってフランボワーズさんは立ち上がると、僕のあとについて歩いてきた。
歩きながらフランボワーズさんは言った。
「ショコラ君、何度も言うが、これは極めて成功確率の低い作戦 だ。もしクォーツが犯人なら、倒れたはずのローズから手紙が来る時点で、自分の作戦の狂いを意味するわけだからな。それに本物を知らない以上、文体模倣も完璧ではない。つまり、怪しむ要素しかないのだ」
「はい……」
「それでもやらないよりはマシ。成功すれば超絶ラッキー。この作戦はそういう位置付けだ。だから、返事が来なかったからといって気に病むんじゃないぞ。君は何も悪くない。そしてもちろん、ワタシも悪くない」
「はい!」
それから数学の本棚に着いてトポロジー入門・2を取ると、僕とフランボワーズさんは表紙の裏に手紙を挟んで、パタンと閉じた。
僕はフランボワーズさんを見て、来るといいですねって言おうと思ったけど、フランボワーズさんはあんまりそういうことを言う人じゃないかもしれないと思って、やっぱり言わないことにした。けれど、そうしていたら逆にフランボワーズさんが「まあ、ほどほどに期待しよう」と言って、「ショコラ君、ご苦労だった」とにっこり笑ってくれた。