top of page

ショコラと紅茶の魔法【18】

「ショコラくん、来てくれたんだね……」

 お庭に行くと、アプリコットさんはもう来ていた。今日は満月で、アプリコットさんの顔は白く照らされていて、湖の妖精さんにもお城の吸血鬼にも見えた。

 夜のお庭はいつもよりずっと静かで、ずっと大きく声が響いた。

「それで、その人たちは?」

「悪いな、今日は保護者付きだ」

 僕の横から、フランボワーズさんが言った。

「事情が事情ですからね、今日は大人も同席させてもらいますよ」

 ビスコッティ先生も、おだやかに言った。風で、ジルコンさんの髪がサラリとゆれる音がする。後ろには、警察の人が二人いた。

「そう、先生まで……俺はショコラくんと二人で話がしたかったんだけどね」

「話ならして構わない。ただし、少しでもショコラ君に危害を加える素振りを見せたら、われわれが即介入する」

 ジルコンさんが冷たい声で言った。アプリコットさんが「手厳しいね」と笑うと、ジルコンさんは「勘違いするなよ、これは温情だ。お前がこの学園の生徒でなければこんな対話の機会は与えられない。本来ならお前は今頃刑務所だ」と言った。

 アプリコットさんは肩をすくめて笑うと、

「ここじゃなんだから、部屋に入って話をしようよ。もちろん、先生と警察の皆さんも来ていただいて構いません。今日は冷えますから」

 と言った。それから、

「俺は身体が弱いので」

 とも。



 案内された先は、アプリコットさんのお部屋だった。一階にあって、中は暗くて、ロウソクの入ったランプだけが、オレンジ色にポンポンと光っている。

「ふふ、ごめんね? 俺の都合に付き合わせちゃって。俺も身体が強ければ、共用のラウンジで話でもと思ったんだけど……」

「いえ……」

 白いカーテンはピッタリと閉まっていて、外の景色は少しも見えない。アプリコットさんのお部屋は、僕とモカくんのお部屋よりも少しだけ大きくて、見たことのない道具がたくさんあった。

「珍しい? 医療器具だよ。ここにはお医者さんがよく来るからね、常備してるんだ」

 アプリコットさんは優しく言った。けれど、本当には笑っていない感じがする。

 少し広かったお部屋も、僕たちみんなが入ると、ギュウギュウに感じた。

「ショコラくん、座って」

 アプリコットさんに言われて、なんだか高そうな木の椅子に座った。僕が座ると、その向かいにアプリコットさんも座った。まんなかにはガラスでできた丸いテーブルがあって、その上には二つのティーカップとポットと、お砂糖を入れるみたいな、丸くて少し大きい白い入れ物があった。

「ショコラくん。お茶、飲む?」

「いえ、結構です……」

「そう? 毒は入ってないよ?」

「のど、かわいてないので……」

 僕がそう言うと、アプリコットさんは猫ちゃんみたいに目を細くして、「ふぅん?」と笑った。それから、「俺は飲むけどね」と、カップにお茶を注いだ。

 カチャリとカップの音がひびく。アプリコットさんは静かにカップを置くと、小さく笑って、突然、「ショコラくん、元気?」と聞いてきた。

「えっ」

「ん?」

「あっ……はい、元気です……」

 そう言うとアプリコットさんは、「そっか」と言って、紅茶に一口、口をつけた。それから聞いてきた。

「じゃあ、保健室の『特別な一杯』を飲んだっていうのは、嘘だったのかな?」

「あ……えっと……」

「君が特別な体質っていう可能性もあるけど」

「その……」

「その感じじゃ、嘘だろうね」

「……はい」

 それを聞くとアプリコットさんは、一瞬、ふっと笑って、続けた。

「あの一杯はね、本当に特別な一杯だったんだ。君を、FLO生成装置にするための」

「……」

「FLOのことを知ってるくらいだから君もわかると思うけど、FLO誘発剤は調合でいろいろと性質が変わるんだよ。それが俺の場合は、好きな相手を見て感情が昂るとFLOが吐き出される……っていう条件になっただけ。だから本当なら、君とダイヤくんは二人同時に花を吐いて、今頃は揃って昏睡状態になってたんだよ」

「……」

「このFLO誘発剤の性質自体はね、狙ってこうしたわけじゃないんだ。ただ、医者と警察にバレないように、俺とは無関係な場所で吐いて、吐いた人の体の中にも誘発剤の跡が残らないように……っていうのを目指しただけ。そうしたらあんな変な誘発トリガーになったんだ」

「……アプリコットさん、薬に詳しかったんですね」

「詳しくないよ。これはただ裏地下の人に教えてもらった通りにやっただけ。こんな回りくどい方法、裏地下じゃ誰も求めてないけど、この学園ではその回りくどさが逆に機能したんだよね。実際、かなり長い間バレてなかった。恋をして花を吐くなんて……いかにもこの学園の人が好きそうで、こっちが吐きそうになるね」

「……アプリコットさん、この学校の人、きらいだったんですか?」

「嫌いじゃないよ。ただ、ロマンチックな空気に酔いやすいところは少し気持ち悪いね。俺が少しお茶を出して話を聞くだけで、みんな、面白いように思い通りの反応をするんだから。人間って何? 人間の意思って、こんなにあっさり他人に操作されちゃうの? ……って思うと、少しだけ虚しい気持ちになるね」

 そう言うと、少し遠くから、「ワタシは酔わん」「今は静かにしていろ、フラン」と声が聞こえてきた。

 アプリコットさんは無視して続ける。

「せっかくだから、君たちが気になっていたサファイアくんにも触れておこうか。彼は恋に関して、ものすごくシャイで、ものすごく情熱的な人だったね。ずっと一人の上級生を追い続けて、なのについに告白できないまま相手は卒業しちゃって、その上事故で死んじゃって、それはもう本当に……そんなだから、俺が少し話を聞いて、紅茶に誘発剤を混ぜて、『協力者』にその上級生の写真を用意させて、それで、サファイアくんに『いい? 誰もいないところで見るんだよ?』って言っただけで、それはもう面白いように吐いてくれたね」

「待て、その協力者とやらはなんだ」

 突然フランボワーズさんが口を挟んできた。アプリコットさんは、「邪魔しないでよ。俺は今、ショコラくんと話してるんだけど?」と冷たい声で言った。それから、「俺には協力してくれる人がたくさんいるの。俺のコミュニケーションの能力を考えれば、自然だと思うけど?」と言った。フランボワーズさんが「ゲロ花を盗んだのもお前の協力者か」と聞くと、アプリコットさんは「そうだけど、そのゲロ花って呼び方、何?」と嫌そうな顔をした。フランボワーズさんは、「極めて正確かつシンプルな命名だ」と言った。

 アプリコットさんはため息をついて「まあいいや……」と言うと、僕に向き直って笑った。

「それで、ショコラくん」

「はい……」

「自分の言葉ひとつで相手が思った通りに動くのって、気分がいいよね」

「え……?」

「ショコラくんも、あるんじゃない? 自分が何か言ったり、笑ったり、困ったり泣いたりすると、妙に周りが都合のいい方に動くなって……」

「え……いや、そんなこと……」

「本当に?」

「あ……その……」

「ん?」

「どうだろう……」

「ふふ、ごめんね。いじわる言っちゃった」

「いえ……」

 ジルコンさんが一歩前に出る音が聞こえた。けれどアプリコットさんは、チラッとそっちを見るだけだった。

「俺がなんでショコラくんを呼んだかわかる?」

「いえ……わからないです……」

「正直でいいね。俺はね、ショコラくんに証人になってほしくて、来てもらったんだ」

「え……?」

「俺が今しゃべったことは全部事実。裏地下の人と関わって、学校の人を使って、何人かの人にはFLOを吐かせて、それを売ったりもした。かなり、ちゃんと、やってるね」

「……」

「このままいけば、俺は警察に捕まる。そうなれば俺は消えて、ただの不良少年っていうレッテルだけが残るだろうね。でも君に見てもらえたら……その上で捕まるなら、残るのはただの不良少年じゃなくてアプリコットになる」

「……」

「ショコラくん、君は相手のことを、素直に、そのまんまの形で受け取ってくれるね」

「え……?」

「世の中にはね、びっくりするくらい、自分の信じたいように相手を歪めて受け取る人がいるんだよ。それも、たくさん。相手をいじわるだと信じてる人は、どんなに優しい言葉も、その相手が言ったらいじわるな言葉になっちゃう。逆もあるね。相手を優しい人だと思ってる人は、どんなにいじわるな言葉も、ね」

「……」

「その点ショコラくんは、本当に相手をよく見てる。自分ではそう思わないかもしれないけど、絵にはよく出ていたよ」

「そうなんですか……?」

「うん。君は相手のきれいなところも、見られたくない嫌なところも、本当によく見てる。俺、会えたのがショコラくんでよかったな」

「……」

「今日来てくれたお礼に、ひとついいことを教えてあげる。俺がショコラくんと初めて話したのは、保健室のカーテンの向こう側からだったよね?」

「はい……」

「なんで俺があの時、学年も何もかも違うショコラくんを知っていたのか、わかるかな?」

「いえ……ぜんぜん……」

「答えはね、学園の王子様、ダイヤくんが、よく言ってたからだよ。二個下にショコラくんっていう名前の、すっごく可愛くてキラキラしてる、素敵な男の子がいるんだって」

「え……」

「それはもう、顔を真っ赤にして、この世で一番楽しいみたいに……」

「そんな……」

「ショコラくん、どう思う?」

「どう思うって……急に今日言われても、どうすればいいかわからないです……」

「うん、そうだよね」

「……」

 そう言うとアプリコットさんは、ゆっくりと立ち上がって窓に向かって歩き出して、静かにカーテンを開けた。すると、部屋の中に青白い光が入ってきて、アプリコットさんの顔も青白く照らされた。

「今日は素敵な満月だね」

 それから、ゆっくりと窓を開ける。ジルコンさんの、腰の剣に手をかけた音がする。

「夜風も気持ちいいね。本当に……よく部屋に風が通る」

 そう言うとアプリコットさんは、ゆっくりとテーブルに戻ってきて、あのお砂糖を入れるみたいな白い入れ物を手に取った。そうしてフタを開けると……フランボワーズさんたちがいる方目掛けて、いきおいよく中身をばら撒いた!

 みんな、一斉に咳き込み始める。ピンクの粉が舞って、鼻がおかしくなってしまいそうなくらいに甘い匂いが、部屋中にいっぱいになる。

「ゲホッ、ゲホッ……おい、なんだこれは!」

「FLO粉末だよ。さ、みんなおいで」

 そう言ってアプリコットさんがパンパンと手を叩くと、窓の外から一斉に、制服を着た何人もの人たちが顔を出した。そうして、よたよたとした動きをしながら、倒れるように、部屋の中に入ってくる。みんな、目はとろんとしていて、体の動きは変なのに、「自分が先に、自分が先に」の気持ちは、おかしいくらいにあふれていて、粉がかけられたフランボワーズさんたち目掛けて、まっすぐに向かってくる。

「みんな、FLOはあそこだよ、行っておいで。うまくできたら、また新しいFLOをあげる」

 そう言ってアプリコットさんは、フランボワーズさんたちを指差した。よだれを垂らした制服の人たちが、手をだらんとさせたまんま、いきおいよく向かっていく!

 その手には、キラリと銀色に光るものがあった。

「気をつけろ! 刃物を持っているぞ!」

 ジルコンさんが叫ぶ。

「失礼、私にも剣を」

 ビスコッティ先生が、警察の人から細い剣を受け取る。

「先生、動けるのですか!?」

「私はフェンシング全国大会優勝経験者です」

「わっ、ワタシはどうすれば!?」

「お前は逃げろ!」

「いいや、ワタシは見届けるぞ!」

「なら後ろについていろ!」

 そんなことをしている間にも、制服の人たちは、フランボワーズさんたちみんなに覆いかぶさろうとしてくる。その間にも、窓からは新しい制服の人たちが入ってくる。

「ショコラ君! アプリコット君! そこを動くなよ!」

「クソッ、これじゃあ二人に近づけない!」

「フラン、邪魔だ!」

「密室では不利です! 外へ!」

 誰のものかわからない声が何回もひびく。

 いつのまにか僕は、部屋のすみでアプリコットさんに肩を抱かれていた。アプリコットさんは、「ショコラくんは危ないからこっちにね」と、笑った顔で言った。けれど、目はびっくりするくらいに冷たい。

「ふふ、外へとか言って、もう囲まれちゃって、どうにもできてないよ。それにみんな、相手が生徒だからあんまり乱暴にできなくて困ってるね」

「アプリコットさん……」

「安心して、ショコラくん。俺たちにはFLO粉末がかかってないから、あの人たちは俺たちには反応しないよ。俺の呼びかけには反応するけどね」

「あの人たちって……」

「俺がFLO漬けにした人」

「え……」

「ねえショコラくん。これを見てどう思う?」

「どう思うって……」

 よたよたと、制服の人たちが、倒れこむように、フランボワーズさんたちに覆いかぶさろうとする。ナイフを振り上げたり、振り回したりしている。ジルコンさんたちは、みんな、相手を傷つけないように、よけて、押さえて、でも、一人押さえても、また別の二人、三人が、横から、後ろから来て……。

「アプリコットさん、怖いです」

「うん」

「それから、ひどいです。良い人が悪い人を気づかって傷つけないようにしてるのに、悪い人は好き勝手に相手を傷つけることができます」

「うん。それで、その悪い人を作ったのは誰?」

「……FLOでおかしくさせちゃった、アプリコットさんです」

「そう、俺が悪い。ショコラくんは、どう思う?」

「ひどいです。本当にひどいと思います」

「うん」

「でも……」

「でも?」

「これだけのことを一人でやったのは、すごいなって、思っちゃいました」

「……」

「……」

「……」

「……アプリコットさん?」

 アプリコットさんが、何も言わない。僕が見上げると、アプリコットさんは、今までに見たことがないくらい、心からうれしそうで、夢みたいにキラキラした顔で笑っていた。そうして、溶けちゃいそうなくらい、甘い、甘い声で、「うん、そっか」と言った。

 それからアプリコットさんはパンパンと手を叩くと、「みんな、止まって! ナイフを置いて座ろうか!」と言った。すると、よたよたとしていた制服の人たちは、一斉にピタリと動きを止めて、すっと、床に座った。ジルコンさんも警察の人たちも、驚いたように、キョロキョロとその様子を見回している。

「もう気が済みました。これで十分です。警察の方、俺を逮捕してください」

 そう言ってアプリコットさんは、きれいに両手をそろえて、警察の人の前に出した。その声は甘酸っぱくて、その顔は少しだけ、いたずらっ子みたいで……僕と初めて噴水で話した時と、まるで同じだった。

 廊下に出ると、いつのまにかたくさんの警察の人が来ていた。最初からいた人のうちの一人が、「私がトランシーバーで増援を呼んだのだぞ。見ていなかったのか、少年?」と、冗談を言うみたいに笑った。

 それから、窓の方から「もう行って大丈夫だぞ」という優しい声が聞こえたので、振り返ってみると、そこには少しだけ泣きそうな顔をしたモカくんとエクレアくんがいた。二人は警察の人に、ポンポンと背中を叩かれて、窓を乗り越えてお部屋に入ってきた。

「ショコラくん!」

「モカくん! エクレアくん! どうしてここに?」

「心配で来ちゃった!」

 エクレアくんが、いつもみたいに元気な声で言った。でもその声はちょっと泣きそうだった。

「大人の人に怒られちゃうってわかってたけど、でも、ショコラくんが一人でアプリコットさんと会うって聞いたから……」

「実際にはジルコンさんとビスコッティ先生もいたけど……」

「ショコラくん、本当に無事でよかった……!」

「……!!」

 二人が来てくれた。二人が本当に心配してくれた。もう、さっきまでの怖いことなんか吹き飛んで、胸がいっっっぱいに、なってしまった!

「モカくん、エクレアくん、ありがとう!」

 ぎゅっと、強く、二人と手を握り合った。

 後ろを見ると、アプリコットさんが、手錠をかけられて警察の人に連れられていくところだった。アプリコットさんの背中は、ドラマでよく見るような犯人の人とは違って、いつもみたいにきれいにピンと伸びていた。

「おい」

 フランボワーズさんが呼びかける。

「結局お前の動機はなんだったんだ、アプリコット」

 そう言うとアプリコットさんは、無表情で、ゆっくりと振り返った。それからにこっと笑って、

「愉快犯」

 とだけ言った。




←前へ 次へ→

 

© 2025 by inuprin-2. Powered and secured by Wix 

 

bottom of page