top of page

ショコラと紅茶の魔法【7】

「ショコラくん、今日は大丈夫だった?」

 モカくんは部屋に帰ってくると、一番にそう言ってくれた。僕が「うん」と言うと、モカくんは「よかった」と笑った。それから、「これ、エクレアくんから」と、半分に折りたたんである小さな紙と、手のひらにちょこんと乗るサイズの四角い包みを僕に渡してきた。

 紙を広げると、「ショコラくん、元気になって〜! 待ってるよ〜!」と、丸くてかわいい文字が、青いペンで書いてあった。右下には、「エクレアより」という文字と、にっこり笑った顔の絵が書いてある。顔の絵の頭のところには、バナナみたいな何かが描いてあって、僕はちょっと考えてから、あ、これ、エクレアくんの髪か! と思った。オレンジの包みは、チョコレートだった。

「エクレアくんも心配してたよ」

 モカくんは優しく笑って、そう言ってくれた。胸の奥の方がじんとして、僕はまた、泣きそうになってしまった。このところの僕は、ずっと、ぐらぐらしてばかりだ。

「モカくん、ありがとう。明日エクレアくんにも、ありがとうって言うよ」

 そのあと僕とモカくんは、寝るまでお喋りして過ごした。モカくんは、バスケットボールクラブの見学に行って、このクラブに入るかどうか迷っている、という話をしてくれた。僕も自分の話をしようと思って、アプリコットさんっていう上級生に会ったことを言ったけれど、その中身まで言うのはやめてしまった。アプリコットさんと喋った内容が、いわゆる「大人の恋バナ」みたいな感じで、ちょっと照れてしまったというのもあるけれど、それよりも前に、友達を置いて一人だけ先にお茶会をしちゃったのが、なんとなく、言いにくかった。


「あーっ! ショコラくんだ! おはよう!」

 次の日、教室に入ると、部屋のはじっこから、エクレアくんがブンブンと手を振ってくれた。僕が手を振り返すと、エクレアくんはもっと手を振ってくれた。

「エクレアくん、お手紙とチョコ、ありがとう。うれしかったよ」

「うん、よかった! あれね、僕が一番好きなチョコなんだ!」

 エクレアくんはえっへんと笑った。

 それから、エクレアくんと僕が喋っていると、知らない男の子の三人組が僕たちのところに来て、「ショコラくん、昨日の理科の授業のノート、見せてあげる」「俺の歴史のノート、貸してあげる」「僕は数学……」と、ノートを見せてくれた。僕はなんのことかわからなくて、「えっ?」と、キョロキョロみんなの顔を見てしまった。エクレアくんを見ると、眉毛をひょいっと上げて、「あれ? 僕もショコラくんにノート、見せてあげようと思ってたんだけど?」と言った。それからすぐに、くすくす笑い出して、「あのね、ビスコッティ先生が『ショコラ君に今日の授業のことを教えてあげてください』って言ったから、みんな張り切っちゃったんだよ」と教えてくれた。

 そのあとも、後から教室に来た何人かの子が、ノートを見せに来てくれた。エクレアくんは横で面白そうに見ていた。



「ああ、ショコラくん。来てくれたんだね」

 放課後、スケッチブックを持ってお庭に出たら、木陰でアプリコットさんが椅子に座って本を読んでいた。

「あっ、アプリコットさん……」

「ん? そのスケッチブックは?」

「あ、えっと、絵描こうかなって……」

「ふぅん……」

 そう言ってアプリコットさんは、眉毛をちょっと上げた。

「何描くの?」

「えっと……まだ決めてなくて、これからいろいろ見て考えようかなって……」

「じゃあ俺のこと描いてよ」

「えっ」

 アプリコットさんは、いたずらな猫ちゃんみたいに笑って「嫌?」と言った。

「いや……嫌じゃないですけど……」

 それから僕は、断れなくて、アプリコットさんの似顔絵を描くことになってしまった。

「人の顔描くのは初めてなので、下手だと思いますけど……」

「いいよいいよ。俺は上手な人の絵じゃなくて、ショコラくんの絵が見たいの」

 そう言うとアプリコットさんは、にっこり、お上品な笑顔を作った。あんまり待たせちゃいけないかなと思って、素早く描こうと思ったけれど、アプリコットさんは「急がなくていいよ」と言ってくれた。

 スケッチブックに向かうと、急に世界が、しん、と静かになった。人がたくさんいるはずなのに、鉛筆の音だけが妙に大きく聞こえる。

 顔の輪郭を描いて、目を描いて、鼻を描いて、さっ、さっ、と、口に取り掛かった時だった。

「ショコラくんは、ダイヤくんのどこが好きなの?」

「へっ」

 突然、アプリコットさんが話しかけてきた。唇の線が、変な方向に曲がってしまった。

「どこがって……」

「ん?」

「いや……考えたことないです……」

 本当に、考えたことなんかなかった。考える必要もないと思っていた。

「ふぅん。それじゃあ、全部好きってことかな?」

「ええと……うんん……そうなのかな……」

 どうなんだろう。本当にわからない。

 でも、全部っていう言い方をすると、急に、僕の気持ちが、三百円の宝石のおもちゃみたいになってしまった気がした。

 気がついたら、鉛筆を持つ手が止まっていた。

「ふふ、ごめんね、意地悪な質問しちゃったかも。気にしないで、続き描いて」

「あっ、はい」

 僕は急いで、さささっと鉛筆を動かした。



 描き終わる頃には、ちょっとだけ、空の色が変わっていた。

「えっと、描けました……」

「どれどれ?」

 僕がスケッチブックを渡すと、アプリコットさんはすっと眉毛をあげて、「へぇ、俺こんなふうに見えてるんだ」と小さく言った。

「あの、僕、初めて描いたので、変なふうになっちゃったかも……」

「ううん、上手だよ。ただショコラくんにはこう見えてるんだって、びっくりしただけ……」

「変でしたか……?」

「変じゃない。むしろかっこいいよ。俺ってこんなに美人だったっけって、驚いちゃった」

 そう言ってアプリコットさんは笑った。でもそのあとに、ボソッと、「ショコラくんって、人を無害そうには描かないんだね……」と小さく言った。僕が「えっ?」と聞くと、アプリコットさんは、「ううん、なんでもない」と言った。それから、「いや、やっぱり、なんでもなくはないな……」と言って、

「ショコラくんって、無意識に人の中に刃を見つけちゃう人なのかもね」

 と笑った。僕は、意味がわからなかった。



 次の日も、お庭に行くとアプリコットさんがいて、一緒にお茶をした。ダイヤくんの話をした。僕とダイヤくんの思い出話……例えば、二人でちょうちょを捕まえて育てようとしたけれど、すぐに死なせちゃったこととかを話した。逆にアプリコットさんが、学校でのダイヤくんのことを教えてくれたりもした。ダイヤくん親衛隊の人たちの、名前と学年と、それぞれの人たちの家族構成を教えてくれた。

 その次の日も、アプリコットさんに会った。この日は音楽室に連れていってくれて、なんと、バイオリンを教えてくれた。次の日もアプリコットさんに会って、お茶をした。恋ってドロドロした気持ちになっちゃうよねって、大人の話をしてくれた。次の日もアプリコットさんに会って、お茶をした。この日は、紅茶のいれ方を丁寧に教えてもらった。手とか顔とかが近くてドキドキしてしまったけれど、アプリコットさんは全然気にしていなさそうで、僕だけが気にしているのがちょっと恥ずかしかった。それと、この日は、アプリコットさんの体のことも教えてもらった。病気ではないけれど、とにかく、他の人より弱いんだって言っていた。

 次の日はなんとなく別のことがしたいなと思って、お庭には行かなかった。代わりに図書館に行ってみた。いつもは勉強しに来るだけだけど、今日は、しっかり本棚の中身をギンミしようと思った。けれど、いざ背表紙を眺め始めたら、難しそうなタイトルばかりで、目が回ってしまった。それでも一冊手に取ってみて(意味はわからなかったけれど、「トポロジー入門」と書いてあるものを選んだ)、テーブルで読むことにした。

 座ってから、ちょっと遠くに、あの時の綺麗な人がいるのを見つけた。モカくんと最初に図書館に探検に来た時に見かけた、あの、木苺みたいな色の目の人。探検の時と同じで、この日もやっぱり、銀色のフチの丸いメガネをつけていて、ところどころに赤色が混じった、クリーム色の髪を三つ編みにしていた。ただ、この日は、別の上級生と話をしていた。

 その上級生は、遠くてちゃんとは見えないけれど、背が高くて、とにかく眩しい金色の髪をしていた。おかっぱみたいだけれど、うしろは短く切ってあって、前の方はあごくらいの長さになっている。金色の上級生は無表情だけど、木苺の上級生は顎に手をやってにこにこと笑っていて、なんとなく仲良しそうに見えた。本の内容は、全然わからなかった。

 その次の日は、スケッチブックを持って、お庭の端っこの方をうろうろしていた。何を描こうか迷っていたら、久しぶりにベリルさんを見かけたので、話しかけてみた。ベリルさんは「おう」と言ってくれた。「ベリルさんのこと描いていいですか?」と聞いたら、「ぜってーダメ」と言われた。「ベリルさんもお茶会しませんか?」と聞いたら、「やんねえ」と言われた。「なんでですか?」と聞いたら、「俺は景観を損ねるからなァ」と、ニヤニヤしながら言われた。

 僕は紺色の作業着のせいで「ケイカンをそこねる」のだと思ったので、「偉い人に言って、もっとかわいい作業着にしてもらったらどうですか?」と言ったのだけど、ベリルさんは「これ自前のだよ」と言った。

「上から支給された作業着には、カスみてえなリボンがついてたからな……俺は世界に抗ってんだ」

 そう言ってベリルさんは、「仕事戻るわ」と、どこかに行ってしまった。



・ ・ ・



「ねえ、今日はさ、三人で夜ごはん食べない?」

 お昼の食堂で、エクレアくんがそう言ってきた。

「たしかに。僕たち三人で食べるのって、いつもお昼だけだもんね」

「そうそう! だからさ、夜も三人で食べたら楽しいかなって!」

 そう言って、エクレアくんはにっこり笑った。

 僕にはとっても素敵な提案に思えた。僕はすぐに「いいと思う!」と言った。モカくんはクールな感じで「いいね」と言った。あ、モカくんのこの感じ、久しぶりに見たかも……。

「やったー! じゃあ六時に、食堂の入り口に集合ね!」

 エクレアくんはフォークを持った手でガッツポーズした。モカくんは「危ないよ」とクールに注意していた。

 放課後はまたアプリコットさんとお茶をして、ダイヤくんの家族と僕の家族みんなで、僕のお誕生日パーティをした時のことを話したりして、夕方になったら、「また明日もしようね」と言われて、別れて、食堂に行った。

 僕が一番最初に着いたみたいで、まだ他の二人はいなかった。少しだけ待っていたら、エクレアくんが来て、「ショコラくんはやーい! 一番乗り、越されちゃった!」と言った。もう少しだけ待っていたらモカくんが来て、「ごめん、待たせた」と言った。でも時計を見るとまだ六時にはなっていなかったし、何よりエクレアくんとお喋りしていたので、全然、何も思わなかった。

「今日はねえ、特別メニューで、スシっていうのが出るんだって!」

 エクレアくんは人差し指をピンと立てて、教えてくれた。

「へぇ〜」

「名前だけ聞いたことがあるよ」

「僕も食べたことない!」

 三人みんなで気になってしまったので、三人みんな、スシを食べることにした。僕は初めて見たけれど、赤とか白とかピンクとか、あと黄色いものもあったりして、それに全部ちっちゃかったから、なんだかおもちゃ箱みたいで、ワクワクしてしまった。

 それで、食べてみたら、不思議な味がして、なんて言ったらいいかわからないけれど、とにかくおいしかった。特に、ピンク色のツルツルしたやつが好きだった。モカくんは食堂の入り口で配られていたよくわからない紙を見て、「それはサーモンだね」と言ってくれた。エクレアくんも「おいしいおいしい」と言っていた。その中でも、銀色とピンクの、変な色をしたスシが好きみたいだった。モカくんは「それはシメサバっていうんだって」と言っていた。僕はそれよりもサーモンが好きだったので、エクレアくんの感覚が不思議だった。

 モカくんは、なんか、全然減っていなかった。「いや、食べるよ。食べるけど、僕には僕のペースがあるからね」って言っていた。エクレアくんが「苦手なの? それなら僕がもらうよ」と言って、しばらくモカくんは「いや、苦手っていうか、僕には僕のペースがね」と言っていたけれど、最後には、「無理かも……」とげんにゃりして、エクレアくんに全部渡していた。エクレアくんはまたシメサバが食べられることに、にっこりしていた。

 そのあとは、モカくんがあんまり食べられなかったので、購買に行ってパンを買うことにした。購買はいくつかあるけれど、遅くまでやっているところは一つしかないので、僕たちは結構歩くことになってしまった。

 学校の廊下は、夜でも明るかった。食堂よりも、ずっと明るかったかもしれない。小さい時に読んだ小説では、夜の学校には幽霊とかオバケが出るイメージがあったけれど、この学校はちゃんと電気がついていて、怖がる方が難しいくらいだった。

 購買について、モカくんはクロワッサンを買っていた。なぜかレジで購買のお兄さんに「こんな時間にパンかい?」とからまれて、「そうですけど!」とムッとしていた。エクレアくんは「僕は買うつもりなかったんだけどな〜」と言いながら、小さいチョコレートを買っていた。僕が休んじゃった時、エクレアくんがくれたチョコレートと同じものだった。本当に好きなものをくれたんだなと、少しだけ嬉しくなった。

「みんな付き合ってくれてありがとう。じゃあ、帰ろう」

 一人だけ違う寮のエクレアくんは、「え〜」と、ちょっとだけ寂しそうにしていた。また三人で、もとの道を歩いていく。こんな時間にこんなところを歩いている人なんか、誰もいない。ちょっと遠いけど、お喋りしているからむしろ楽しい! って、思っていた時だった。


 バチン!


 突然、廊下が真っ暗になった。

「えっ……」

 しん、と、あたりが、一瞬で静かになった。

「えっ、えっ」

 まっくら。なんにも見えない。

 えっ、

 えっ。

 どうしよう、

 どうしようどうしようどうしよう

「停電かな?」

 エクレアくんの、いつもの明るい声が響いた。

「そうかも」

 モカくんも言う。

「危ないから、電気が戻るまでじっとしてよう」

 モカくんは、大人の人みたいに落ち着いて言った。よかった。その声で、心の底から、ほっと、安心した。もう、僕だけが怖がっていて恥ずかしいとか、そんなこと、全然思う余裕なんかなかった。

「あの、二人とも、手、つないでほしい……」

「いいよ! あれ、どこだどこだ……あった! これショコラくんの手?」

「これは僕の手だね」

「あっ、モカくんだったか!」

 ふと、僕の頭の中に、いつの間にか、一人だけここに幽霊が混じっていて、僕がその手をとってしまう想像が頭に浮かんだ。

「あ、これがショコラくんの手かな?」

「ひゃっ!?」

「びっくりした! 何その声!」

「ねえ? エクレアくんだよね? 僕の手握ってるの、本当にエクレアくんだよね?」

「そうだよー? さっきからショコラくん、どうしたのー?」

 平気でいられる二人の方が変だよ!

「あー、僕、二人のこと見えるようになってきたよー」

「僕も。目が慣れてきたんだね」

 僕も、うっすらと暗闇の中に二人の姿が見えるようになってきた。

 見えるようになったせいで、もっと怖くなってしまった。

 教室の扉が見える。扉の窓ガラスに、うらめしげな幽霊の顔がうつっていたらどうしよう。廊下が見える。まっくらな廊下の向こうから、血まみれのオバケが走ってきたらどうしよう。窓の外から、恐ろしい悪魔が覗いていたら……。

「モカくん、エクレアくん、僕、はやく帰りたい……」

「えっ、でも、まだ電気ついてないし……」

「僕、もう、本当に、本当の本当に、耐えられない……」

「ええ……」

「目も慣れてきたし、動いても大丈夫な気がするな」

 そうして、モカくんとエクレアくんの間にはさまって、手をつないでもらいながら、ゆっくり歩くことにした。

「ねぇ、ショコラくん怖いの?」

 エクレアくんが言った。思っていた何倍よりも、廊下に声が響く。ぐわんと、声が歪んで、廊下中に響いた気がした。

 やめて! オバケに聞かれちゃう!

 僕はできる限り声を抑えて、「うん……怖い……」と言った。

「それじゃあ、お歌歌おうよー! 歌うと怖くなくなるよ!」

「やめて!」

「えぇー……」

 お歌なんて、お歌なんて……絶対ダメだよ! オバケが寄ってきちゃうかもしれない!

 僕はずっと、心臓がバクバクしていた。いつ、うしろから、オバケが走ってきて、襲ってくるかわからない。窓から何かが覗いているかもしれない。僕はぎゅっと目をつぶった。本当は前を見ないと危ないけれど、本当はダメだけど、でも、本当に、もう、無理だった!

「ショコラくん大丈夫? もう少しだよ」

「なんか怖くなくなる話してあげるよ。そうだな、怖くない話、怖くない話……考えようとすると思いつかないなー」

 その時だった。

 足の裏に、ぐにゃりと、生温かい感触が走った。

「えっ」

 パッと、一斉に電気がついた。

 僕の足の下には、人がいた。

「!!!!!!!」

 人生で一番、大きな叫び声をあげてしまったかもしれない。




←前へ 次へ→

 

© 2025 by inuprin-2. Powered and secured by Wix 

 

bottom of page