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恋人のやり方がわからない 5

21

 

 二人並んで、昇降口を出ます。今日も無言です。

 誘ってきてくれたということは、少なくとも嫌われてはいないということでしょうか。

 聞いてみる?

 ……。

 いやいやいやいや、そんな無茶な!

 チラリと見上げた五十嵐くんは、真っ直ぐに前を向いていました。

 こっちは、見ないのか……。

 ……。

 いや。

 私も前を向きました。私ばかりが見ているのではおかしいでしょう。私と五十嵐くんは、ただの同級生なのですから。

 ……。

 もう一度、チラリと五十嵐くんを見ました。

「あっ」

 バチンと目が合ってしまいました。

 五十嵐くんはさっと顔を背けました。私も反射的に下を向きました。

「……」

「……」

 顔を、背けられてしまった。

 ……嫌われた?

 ……。

 気がつけば私たちはコインランドリーを過ぎており、あのT字路が近づいていました。

 私はぎゅっと、スクールバッグを握りしめていました。ああ、これで終わってしまうのか。今日は、はっきりとそう思いました。

 T字路に着いてしまったなと、思ったその時でした。

「成瀬」

「!」

 私の身体は、それはもうわかりやすく跳ね上がりました。

 ……何。

 私はそろりと、顔を上げました。顔を上げて、見て、私の心臓は、一瞬、ギクリと固まってしまいました。

 見上げた先の五十嵐くんは、いやに真っ直ぐに、私を見ていました。

「あのさ、昨日のこと、嬉しかったから……」

「えっ……」

「触られても平気だったってやつ……」

「あ……」

 ……どういうこと?

 私が目をパチパチとさせていると、五十嵐くんは目を逸らして、「ちゃんと言っといた方がいいかなって……」と、ほとんど聞き取れないような声で言い、それから、

「やっぱり忘れてくれ」

 と、今度ははっきりした声で言いました。そんな……。

「忘れないよ……」

「えっ……」

「あっ、いや、今のは忘れて……」

「俺の方が忘れてほしいんだけど……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……ふふっ」

 なんですか、それ。

「五十嵐くんも、忘れてほしいこと言うんだ」

「そりゃ言うだろ……」

「全然そういうの気にしない人かと思った」

「いや気にすることもあるだろ……気になる奴の前じゃ……」

「……」

 えっ?

 私が固まると、五十嵐くんは「じゃ、また明日な」と言って、そそくさと背中を向けてしまいました。「あっ、待って……」という声は、届きませんでした。あるいは、届いた上で、聞こえなかったことにされたか。

 気になる奴……。

 気になる奴って、気になる奴ってことだよね?

 聞き間違いじゃ、なかったよね?

 


 

22

 

 翌朝私は、文庫本を開きながら、チラチラと教室のドアを見ていました。

 認めます、私は、五十嵐くんが気になります。

 昔考えていた「見ないようにする」作戦……あれはもう、無理でした。できないことを示す証拠が、積み上がりすぎてしまいました。

 気になる奴って何。

 気になる奴って……。

 文庫本とドアと時計を順に見て……ホームルームギリギリの時間に、五十嵐くんは登校してきました。

 あっ。

 こっち見た。

 目が、合ってしまった。

 五十嵐くんは小さく目を見開くとそのままほんの少し目を合わせ……さっと前を向いてしまいました。

 あっ、あっち見ちゃった。

 ……。

 ホームルーム後の休み時間も、私の身体は落ち着いてくれませんでした。

 今日は五十嵐くん、雲の報告、来ないのかな。

 蛾でもいいけど。

 期待だけは一丁前に膨らんでいくのに……待てども待てども、五十嵐くんが来る気配はありませんでした。

 いつもは来るのに。

 ……。

 三時間目の授業中も、私の身体は落ち着いてくれませんでした。上の空で、黒板を見ていました。

 そんな、時でした。

「お前ら、これからの時代は受け身じゃなくて、自分から積極的に……」

 教師が突然、人生の説教をしてきました。

 受け身じゃなくて、積極的に……。

 ……。

 自分から行った方が、いいのかな?

 ……。

 ……そうだ。

 雲の絵を描いて、見せに行こう。ちょっとだけ描いてみて、相談したいという体で行ってみよう。そうすれば、同級生としての会話としても自然だろう。きっと。多分。

 ……教師の説教が、役に立ってしまった。

 気づけば私はノートの端に雲の絵を描いていました。私の好きな真夏の入道雲。完成はさせないで、中途半端に描いて、「これ、どう思う?」と聞いて……いや、五十嵐くんにその質問は答えづらいかもしれない。三つくらい描いて、一番好きな形を聞いてみるのは……どうだろう。

 ちょうど三つ、適当な雲が描き終わったところで、授業の終わりを告げるチャイムが鳴りました。

 そうして休み時間、早速五十嵐くんに見せに行こうと思った時でした。

 ……。

 やっぱり、変じゃないよね?

 いや、どうなんだ?

 ……。

 ……でもさっきは、見せに行こうと、はっきり思っていたじゃないか。

 ……行こう、見せに行こう。

 行こう。

 そう決意した途端、急に心臓がドキドキしてきました。いや、何をドキドキしているんだ。同級生に絵を見せに行くだけじゃないか。しかもその同級生、ちゃんと、絵を見せてくれて嬉しいと言ってくれた人じゃないか。何をそう、緊張しているんだ。

 ……。

 ……。

 ……。

 次のチャイムが、鳴ってしまいました。




23

 

「あのさ、成瀬、なんか俺に用事ある……?」

「えっ?」

 四時間目後の休み時間、お弁当を出そうとしていた私のもとに、五十嵐くんがやってきました。五十嵐くんにしては、ひどく控えめな声でした。

「用事……?」

「いや、なんかこっち見てたから、なんかあんのかなって……」

 ……バレていた!

「えっと、用事……」

 ないことはない。むしろ、ちゃんとある。けれど、それを出していいのか、さっきまさに迷ったところで……。

 いや、ちゃんと作戦は練ったはずだ。

 決意もしたはずだ。

 見せて、いいはずだ。

 なのに、急に不安が押し寄せてきた。

 もう一度、ノートの入ったカバンに視線を落としました。

 カバンをじっと見て、それからもう一度五十嵐くんを見て……、

 ……。

 真っ直ぐな顔。

「成瀬……?」

 珍しく控えめな声。

 ……断れなくなってしまった。

「あのっ、大したことじゃないんだけど……」

「ああ」

「その、絵を見て欲しくて……」

「絵……?」

 そう言うと私は、もうどうにでもなれという気持ちでノートを引っ張り出し、開きました。

 三つの入道雲。

「これ、どれがいいかなって……」

 俯きながら言いました。

 何を言われるのか。

 怖い。恥ずかしい。やっぱり、見せなければよかったか?

 なのに。

「うま……」

「え……」

 その声で、私は五十嵐くんを見上げていました。

「いつの間に……すげえ描いてるじゃん……」

「あ……」

「うま……」

「いや、そんな大したものじゃ……」

 反射で、謙遜しようとしました。

 なのに。

 五十嵐くんは、あの時と同じ顔をしていました。

 初めて絵を見せた時と、同じ。

 あの、妙にキラキラした……。

 ……。

 

 嬉しい。

 

 もう、認めないのは無理でした。

 嬉しい。もっとその顔を見たい。かわいい。もっとその顔見せてほしい。いっぱい見せてほしい。

 たくさん、見たい。

「……五十嵐くん、この中でどれが一番好き?」

「え……全部いいけど……」

「一個だけ選ぶなら?」

「……」

「選んでくれたやつ、完成させるから」

「……じゃあ、真ん中のやつ」

 五十嵐くんは、おずおずとノートの雲を指差しました。

「描いたら、もらってくれる?」

「……くれるのか?」

「あげる」

「……」

「……」

「……」

 あげるだなんて、私は何を言っているのでしょう。

 もう、完全にやけくそでした。

 沈黙。

 いや、いい。

 もう、どうにでもなってしまえ。

「……」

 長い長い沈黙の後、五十嵐くんは口を開きました。

「……嬉しい」

 その頬はほんのりと赤く、その顔には、ほんのわずかに、笑みが浮かべられていました。

 


 

24

 

 その夜、私はあの青いノートを開いていました。

 今日だけは、勉強なんかどうでもいい。

 とにかく完成させて、すぐにでも、五十嵐くんにあげたい。

 あの顔を、もう一回見たい。

 私は、今日だけはシャーペンではなく画材屋で買った鉛筆を出して、サラサラと線を重ねていきました。ノートの端の、五十嵐くんが選んでくれた雲。その形を、崩さないようにしながら。

 描いて、描いて……。

「あ……もう十一時」

 描き始めて、もう三時間経っている。

「いや、もう少しで完成だよ」

 そう自分に言い聞かせて、私はもう一度、机に向かいました。再び描いて、描いて、描いて、描いて……一段落ついたところで時計を見たら、ちょうど十二時をまわったところでした。

「……」

 もう寝る時間だ。

「……」

 でも、これなら、見せても大丈夫かな。

「……」

 いや、もっと直した方がいいだろうか。でも、それより、早くあげたい。

 早く、五十嵐くんの喜んでくれる顔を見たい。

「渡そう、これ、明日渡そう……!」

 私はノートを丁寧に破ってクリアファイルに入れると、そのまま電気を消して、布団にもぐり込みました。寝不足なんかですべてがダメになるなんてことないように……ちゃんとした顔で、ちゃんとした体調で、渡せるように。なのに、妙に落ち着かない。でも、寝ないと。寝ないと。

 本当に、寝ないと……!

 


 

25

 

 翌日、私は朝から妙にドキドキしていました。落ち着かない気持ちで朝食を食べ、いつもよりも長く鏡を見て、いつもよりも早足で登校しました。

 五十嵐くんに絵を渡す。たったそれだけのことなのに……。

 ……。

 ……いや、認めよう。たったそれだけ、じゃない。

 これは、大事なことだ。

 教室に着いたのは、まだほとんど生徒がいない時間でした。五十嵐くんは、来ていない。いつものように文庫本を開きましたが、集中などできるわけがありません。

 早く、来て。

 いや、まだ来ないで。

 五十嵐くんが来たのは、ホームルームが始まる五分前でした。

「あっ、五十嵐く……」

 立ち上がりかけて、やめました。もっとゆっくり、渡したいと思いました。

 私は考えていました。

 ホームルーム後の休み時間は、短い。授業の合間の休み時間は、短い。

 昼食後は……人がいる。

 なんて、思っていたら。

 結局渡せず、放課後になってしまいました。

 ……。

 結局今日は、無理なのでしょうか。

 みんなが、部活に向かっていく。みんなが、家に帰っていく。みんなが、教室から消えていく。

 ……結局、今日は。

 ……結局、自分は。

 ……。

 動く気になれず、机に突っ伏しました。

 ……本当に、何をやっているんだ、自分は。

 ……。

「……成瀬」

「……」

 上から声が降ってきました。

「体調、悪いのか」

「あ……」

 じっと、五十嵐くんが見下ろしていました。私にもはっきりとわかるくらいに、心配そうな顔をしていました。

「……悪くないよ」

「本当か?」

「うん、本当……」

「じゃあ……一緒に帰んね?」

「……」

 いいよ。いつものように、そう言おうと、思った時でした。

 ふと気づいた。

 今、教室に誰もいない。

 ……。

 もしかしたら、今しか、ないのでは。

「いいよ、でも……」

「……?」

「先に、渡したいものがあるんだ……」

 そう言って、カバンを開けました。手は、震えていました。けれど、妙に頭は冷静でした。

「絵、描いたんだ」

「……」

「だから、あげる」

 私は五十嵐くんの返事を待たず、クリアファイルから出して、見せました。

 そうして、見せて、

「……うま」

 五十嵐くんは、それだけ言いました。

 それだけ言って、小さく、顔を輝かせました。

 ほんの少し子供のようで。

 キラキラと光を反射する、目。

 ああ、これだ。

 この顔だ……。

「っ……!」

「……成瀬?」

 この顔。

 かわいいな。

 嬉しいな。

 なんか、すごい、報われたな。

 私が見つめていると、五十嵐くんは「これ、くれるのか」と言いました。

「うん」

 声が裏返りそうになるのを必死に抑えて、私は頷きました。

 そう言うと、五十嵐くんは「ありがとな」と言いました。その顔には、昨日のような、小さな笑顔が浮かべられていました。

「五十嵐くん、笑ってる……」

 つい、声に出ていました。

「っ……笑っては……」

「……」

「いや、笑ってるかも……」

「へへ、なにそれ……」

 五十嵐くんは、正直ですよね。

「ねぇ、一個聞いてもいい?」

「……いいけど」

「この前言ってた気になる奴って、どういうこと……?」

「……覚えてるのかよ」

「覚えてるよ」

 そう言うと五十嵐くんは、目を泳がせました。ああ、五十嵐くんは、たまにものすごくわかりやすいですよね。

「気になる奴ってのは、つまり、その……」

 そう言うと五十嵐くんは目線を背けて、黙ってしまいました。

 私は、言いました。

「俺も、五十嵐くんのことが気になってる」

「……」

「五十嵐くんのこと、かなり見てたいっていう意味」

「……」

「ごめんね、変なこと言っちゃった」

「いや……」

 そう言うと五十嵐くんは、頭の後ろに手をやり……私をチラリと見ると、手を下ろして、突然、小さく一つ呼吸を整えました。それからまっすぐに、私の目を見て、

「俺も、そういう意味」

 と、言いました。

 ……。

 ……え。

 ……本当に?

 五十嵐くんが、そういう意味って、言ってくれた?

 これって。

 これって。

「これって、普通の同級生同士で言うことなのかな」

「……」

「普通の友達だったとしても……」

「わかんねえ」

「……」

 そうだよね。

 五十嵐くんなら、そう言うよね。

 私は、言いました。

「俺は、多分違うと思う」

「……」

「俺、これ、普通の友達じゃないと思う」

「……」

「俺、もう普通の友達として振る舞うの、無理かも」

「……」

「だからって別に、どうして欲しいとかは、ないんだけど……」

「……」

「……ごめん、変なこと言ったね。今のは忘れて……」

「無理だろ」

「……」

「今の忘れろは、無理だろ……」

「……そうだね」

「……」

「……」

 沈黙。

 また、沈黙。

 長い長い、沈黙。

 私は俯きました。

 五十嵐くんを、見られない。

 なにも、言えない。

 なのに。

「……俺も」

 五十嵐くんは、静かに口を開きました。

「俺も、無理かも」

「え……」

「俺も成瀬のこと、普通の同級生として見るの、無理かも……」

「……」

「ていうか、友達としても……」

 そう言って五十嵐くんは、自分の頭の後ろに手を伸ばしました。

 それから手を戻して、言いました。

「成瀬、俺、付き合ってほしい」

「……」

「お前と付き合いたい」

「……」

「あの、そういう意味で……」

「わかってるよ」

 言いました。

「俺も、付き合ってほしい」

「っ……!」

 そう言うと五十嵐くんは勢いよく私に手を伸ばしかけて……やめました。代わりに、聞いてきました。

「なあ、触ってもいいか?」

 ひどく、慎重な声でした。

「……いいよ」

 そう言って、私も手を伸ばしました。

 五十嵐くんは、私の手をそっと握りました。

 何か、探るように手を撫でて……。

 それは、あの時のような触り方ではなく、妙に優しくて、妙にくすぐったいもので。


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