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恋人のやり方がわからない 2

6

 

 さて、なんの因果でしょうか。放課後、私は担任の先生に捕まってしまいました。それも、五十嵐くんと一緒に。

「ちょうどいい、お前らこれ進路指導室まで持ってってくれ」

 渡されたのは、ぎっしりと大学案内の入った段ボール二箱でした。

「重いから二人いるだろ」

 そりゃまあ、そうですが。

「お前ら帰宅部だしな」

 帰宅部も暇ではないのですが。

 最後の発言だけはどうにもいただけなく、私は露骨に眉間にシワを寄せて担任を睨みつけました。しかし担任は、そんなささやかな抵抗などまるで気にしていない様子で、「よろしくな」と去っていきました。ちなみに五十嵐くんはといえば、彼も彼で特に気にしていない様子で、「わかりました」と言っていました。

 さて、二人きりになってしまいました。

「……」

「……」

「……どっち持ってく?」

「俺こっち」

 そう言うと五十嵐くんは、少し多めに資料の入った箱を、ヒョイと持ち上げました。

「重くない?」

「重い」

「だよね」

「ああ……」

「……」

「……」

 本当に、喋らないな。

 喋らなくて、平気なんだな。

 私はもう一個の段ボール箱を持ち上げ、「重い」と呟いてみましたが、五十嵐くんは「だよな」とだけ言いました。そちらの方が明らかに重そうな箱を持っているでしょうに。

「……」

「……」

 私たちは二人並んで、進路指導室まで歩きました。

 私は真っ直ぐに前だけを見て歩きます。

 あの決心通り、隣だけは、見ないようにしなければ。

 そう。

 見ないようにしなきゃ。

 見ないようにしなきゃ。

 見ないようにしなきゃ。

 見ないようにしなきゃ。

 見ないように

「お前、最近俺のこと見てたよな?」

「はっ!? 見てないよ!?」

 五十嵐くんは肩をびくりと跳ねさせました。箱の中の資料が、ガタ、と揺れます。

 まずい。つい、大声が出てしまった。

「それは……気のせいじゃない……?」

「そうか……?」

「後ろの席によく大きい虫がいるから……」

「……? そうなのか……?」

 そう言うと五十嵐くんは、「そうか」呟いて前を向きました。

 いや、なんですかそれ。納得しないでください。教室で大きい虫なんか見たことありません。それは後ろの席にいるあなたの方が、よく知っていることでしょう。

 それより。

 見ていたのが、バレていた。

 バレていた……!!

 恥ずかしい。これは本当に恥ずかしい。恥ずかしさでわかりやすく顔が赤くなっていくのを感じながら、私は、さっと資料に目を落としました。どうか今の顔を見られていませんようにと、強く、強く、祈りながら……。

 私は、印字された「大学案内」の「大」の字一点を、逃げるように見つめました。高校生向けに作られた冊子の、呑気なフォント。いつもは微妙に腹立たしく見えるそれも、今だけは、なんだか救いのように思えました。顔の赤さも、不思議と落ち着いてきた気がしました。

 そうか、見ているのが、バレていたのか……。

 ……。

 そのうちに、私にある考えが浮かんできました。

 中途半端にバレているのなら、いっそ、すべてを明かしてしまう方が潔いのでは?

 あなたを見ていると、妙に落ち着きます……と。

 ……いや、これは、なんの告白ですか?

「……」

「……」

「……」

「……成瀬はさ」

「何っ!?」

「っ!」

 最悪です。また、つい大声が出てしまいました。五十嵐くんの箱から、またもやガタリと音が鳴ります。

「いや、別に、いつも何考えてんのかなって……思っただけ……」

「……」

 なんですかその質問。

 なんですかその、妙に答えにくい質問。

 反射的に見上げた先の五十嵐くんは、ただ、なんてことのない顔をしていました。

 ……。

「……別に、何も考えてないよ」

 そう返すしかなくないですか?

「……そうか」

 返ってきたのはそれだけでした。

「……」

 そうこうしているうちに、目的の進路指導室に着きました。

「これ、どこに置けばいいんだろうね」

「廊下でいいんじゃないか」

「盗まれないように中に入れた方がいいかも」

「こんなの盗む奴いねえと思うけどな」

「そうかも……」

「とりあえず部屋ん中見て決めるか」

 そう言って五十嵐くんは、段ボールを片手に持ち変えると、もう片方の手ですっとドアノブを捻りました。

 ドアには鍵がかかっていて、ガチ、とノブが止まる無情な音が響くだけでした。

「……廊下に置くか」

 そうして私たちは、部屋の前に荷物を置いて帰ることにしました。

「お前、これから帰るか?」

「うん」

「一緒に帰んね?」

「……」

 醜態を晒した相手と、まだ一緒にいなければならないのですか?

 ……。

「いいよ」

 いややっぱり、断る言葉を考える方が難しいです。

 そうして私たちは、帰宅まで一緒にすることになりました。

 


 

7

 

「五十嵐くんは、いつも何考えてるの?」

 私はローファーに履き替えながら、ほんの少しだけ勇気を出して言いました。一つはせめてもの高校生らしい雑談として。一つは自分が聞かれたのだから相手にも聞いておくのが筋だろうと思ったため。一つは、純粋に気になったため。

「なんだろうな……」

 五十嵐くんは宙を向いて……そのまま、停止してしまいました。え、止まっちゃった……?

「……あんま考えたことなかったな。俺普段、何考えてんだろうな」

 だからそれを聞いているのですよ。

「よくわかんねえ」

「そっか……」

 まあでも私も答えられなかったわけですし、お互い様ですか。

 私は社交的配慮として、「へへ、ごめんね、変なこと聞いちゃった」と笑って誤魔化そうとしました。ですがそもそもこの質問を先にしてきたのは五十嵐くんの方だったわけで、私がそう言うのも変だと思い、結局は黙ってしまいました。

 二人並んで、昇降口を出ます。

「成瀬ってさ」

 五十嵐くんが、急に口を開きました。

「意外といろんな顔するんだな」

「……」

「なんか、思ってたのと違った」

 それは……悪口でしょうか。

「なんか、かわいい」

 それは……なんだ???

「……どうも?」

 私は困惑しながら、首を傾げることしかできませんでした。しばらくしてから、「あ! かわいいとは、男子式のからかいコミュニケーションだったか!」と思い至りましたが、ツッコミを入れるにはもう時間が経ちすぎていました。私だって、ツッコミに鮮度があることくらいは知っているのです。

 ……。

 なんだか、さっきの反応で、妙に本気めいてしまった。

 私は誤魔化すために精一杯頭を働かせ、「五十嵐くんは、どんなものが好きなの?」と必死に無難な質問を作り出しました。しかし五十嵐くんが返してきたのは、「俺は……何が好きなんだろ、特に思いつかねえな……」という、なんとも返答に困るもので……。

「じゃあさ、漫画とかアニメとか、あんまり見ない感じ?」

 私は再び必死に、それらしい質問を返しました。すると五十嵐くんは、「そうだな……」と少し宙を見たのち、

「あ、でも家になんかバスケットゴールがあって、よくボール投げて遊んでたりはするな」

 と言ってきました。なんだ、あるではないですか、好きなこと!

「なんか庭にあってさ。無心になれて、いいもんだよ」

 それはだいぶ好きではありませんか!

 しかし私が「五十嵐くんってバスケやってたの?」と聞くと、「ない。なんか親が勝手に買ってただけ」と返され、私には、普通の高校生らしい会話がわからなくなってしまいました。

 いや違う。

 多分この人、だいぶ変だ。

 私が「そうなんだ」と言うと、五十嵐くんは「ああ」と返し、再び私たちは無言になりました。

 また、無言……。

 ……。

 無言。

 だと思っていたのですが、

 五十嵐くんは突然「あのさ」と言うと、

「無理しなくて大丈夫だからな」

 と、続けてきました。

「……無理?」

「いやなんか、頑張って会話しようとしてんのかなって……」

「……そう見えた?」

「見えた……なんか、子供に気ぃ遣ってる親戚みたいだった」

「……」

 なるほど、私の中身など、それなりにお見通しということですか。

 ……あるいは、私がそんなにわかりやすいか。

「あのさ」

 五十嵐くんは続けます。

「俺、会話って二人で成立させるものだと思ってて……」

「……」

「片方だけが会話の責任取るの、どうかと思ってるから……」

「……」

「だから、無理しなくて大丈夫だからな」

「……」

 ……優しい。

 けれど、急になんの話ですか?

「ふふっ……」

「……?」

「五十嵐くん、面白い……」

「え……??」

 私は妙に可笑しくなってしまい、声を出して笑ってしまいました。五十嵐くんは一瞬、心外そうに小さく顔を歪めましたが、しかしすぐにふっと口元を緩め、「お前、そういう笑い方するんだな」と言いました。

「するよ!」

 私が返すと、五十嵐くんは、

「意外だった」

 と、小さく笑いました。

 そういう五十嵐くんこそ、意外と笑うじゃないですか!

 その後私たちは、すっと急に無言になり、無言のまま、帰りました。さっきまでの笑いは? わかりません。急に消えました。別れのT字路に着くまで、本当にずっと無言でした。

 それでも、気分は軽い。

 気まずくなかった。

 五十嵐くんが、無理するなって、言ってくれたからかな。

 さっきはあんな風に笑ってしまいましたが……あれはかなり、効きました。私は五十嵐くんの言葉を許可証のように抱え、今日のあれこれを思い出しました。許可証があるなら、見ていたのがバレたことも、指摘されて大声が出たことも、さっきの妙な会話も、妙な笑いも、きっと大丈夫……。

 ……。

 いや、許可証があったからといって、今日のあれこれは普通に恥ずかしい。

 明日も、五十嵐くんのことは見ないようにしましょう。私は再び、そう、決心しました。

 


 

8

 

 ……とかなんとか、今度こそ、心に決めたのですが。

「成瀬、これ先生から」

「……ありがとう」

 五十嵐くんの方が、私の方へとやって来ました。と言っても、ただの事務的な用事なのですが。

「……」

「……」

「……」

「……あのさ」

「!」

 さて五十嵐くんが、何かを言い出しました。

「何……?」

「今日はでけえ蛾がいた」

 ……。

 なんですかその報告。

「もしかして、俺がこの前虫の話したから?」

 そう言うと五十嵐くんは、こくりと頷きました。

「もしかして本当に、後ろの席に蛾がいたの?」

「ああ。なんか死んでた」

「死んでた……」

 大きい虫、本当にいたとは。

「田中がちりとりで外に投げてた」

「そうなんだ……」

 田中さん、強い。

 私がもう一度、「そっかぁ……」などと曖昧に言うと、五十嵐くんは「まだ鱗粉残ってるぜ」などと言ってきました。私が「鱗粉はいらないかな」と言うと、五十嵐くんは「そうか」とだけ言いました。

「鱗粉、何色だった?」

「よくわかんねえ」

 なんだろう、この会話。

 意味不明だけど、なぜか、続いている……。

「そっか……」

「ああ……」

「……」

「……」

 と思ったら、止まった……。

 そんな時に、チャイムが鳴りました。

 五十嵐くんは「じゃあな」と言うと、自分の席に戻っていきました。私は小さく手を振り、そのまま、なんとなく五十嵐くんの背中を見ていました。そうして五十嵐くんが席につき、目が合いそうになったところで、慌てて前を向きました。それでもなかなか先生が来ないので、ふと後ろを見ると、五十嵐くんは床の一点をぼんやりと眺めていました。

 鱗粉を、見ている……?

 ……。

 いや、見るのはやめよう。やめるって、決めたじゃないか。

 


 

9

 

 蛾の話から、数日ほど経った頃だったと思います。

 私は珍しく、放課後、教室に残って絵を描いていました。

 別に深い理由はありません。今日はたまたま、教室から完全に人影が消え(ごくたまにこういう日があるのです)、天気もよく、窓からほんの少しだけオレンジがかった光が差し込んでいて……こういった場所で絵を描くのも、風情かと思ったのです。

 ……とはいえ実際、風情なのかどうかは、よくわかりません。

 なぜって、教室というものが青春らしいことは知っていますが、私にとっては、日常でしかないわけで。

 そもそも青春という概念が、私にとっては、少しだけ胃を痛くさせるものであるわけで。

 それでも私は、最初から避けるようなことはしないで、とりあえず、ちょっとだけ、やってみてから考えようと思いました。意外にも私には、そういう建設的なところがあるのです。

 筆箱と絵用の青いノートを取り出して、適当なシャーペンで、サラサラと線を重ねていきます。最近は空の絵をよく描いていました。空というより、雲といった方が良いでしょうか。綿雲がブームです。どのように描いたら綺麗に見えるのか、探求するのが楽しいのです。

 実物も資料も見ずに、ただ気ままに描いてみる。

 こういうのも、良い。

 気がつけば生徒たちの足音も、時計の針も、どこか遠くに響いています。今あるのは、静かにシャーペンが紙を滑る音だけ。

 ああ、悪くない。

 悪くないな……。

 と、思っていた時でした。

「成瀬」

「へっ!?」

 頭上から突然声が降ってきました。五十嵐くんでした。

 またしても、浸っているところを見られた!

 私が反射的にノートを閉じると、五十嵐くんはノートを見て、「それ……」と言いました。

「あっ、これは、なんでもないよ!」

 なんでもなくはありません!

「お前、絵描くのか……?」

 ここは「そうか」で流してくれないのですか!

「あー……」

 私は何かをどうにか、誤魔化そうとしました。ですが私程度の人間に、上手い誤魔化し文句などそう簡単に思いつく訳もなく……結局は、素直に言うことになりました。

「うん、そう、たまに描いてるんだ」

 そう言うと五十嵐くんは、「へぇ……」と言って、

「見てもいいか?」

 と聞いてきました。

 見せる……?

 いや無理です。それはかなり恥ずかしいです。

「俺下手だよ? 美術部じゃないし」

 私は反射的に笑顔を浮かべて言いました。しかし五十嵐くんは、

「美術部とか関係ねえだろ」

 と、引きませんでした。

「いや本当、下手だから」

「そういうこと言うなよ」

「どういうこと?」

「下手とかさ……」

「はぁ」

 そこに引っかかるのですか……。

「ダメか?」

「うーん……」

 私は手元のノートを見て、しばらく悩みました。一瞬、ちょっと見せてみようかなと思い、いやでもやっぱりともう一度悩んで、それからなんとなく五十嵐くんを見上げました。見上げた先の五十嵐くんは、じっとこちらを見ていました。

 その顔……。

 なんか、おやつ待ちの犬みたい……。

 ……いや、何を考えているのでしょう、私は。

 でも本当に、そんな顔をされたら、断るこちらが苦しいではありませんか。

「さっき描いてたやつなら……」

 そう言って私は、描きかけの雲のページを開きました。

「……うま」

「……そうかな」

「すげえうまい」

「本当?」

「うまいよ」

 五十嵐くんは、真っ直ぐな目でそう言ってきました。

 あ、この目は……。

「ありがと……」

 まずい。

 こんなに直球の褒めなんて、刺激が強すぎる!

 すっかりドギマギしてしまって、私は「おしまい!」と、勢いよくノートを閉じました。五十嵐くんは「えっ」と小さく驚いた顔をし、それからどこか不満げに、私の顔を見ました。

 なんですかその顔。

 なんで私の絵程度に、そんな顔を……。

 ……いやいやいやいや。

 私は焦ってしまい、

「そういえば五十嵐くんは、なんで教室に?」

 と、半ば無理やりに話題を変えました。

 五十嵐くんはじっと私のノートを見てから、すっと私の顔を見ると、「英語の教科書忘れたから」とだけ、言いました。

「そうなんだ」

 私はそう言うと、「俺、もう帰ろうかな」と、ノートとペンを仕舞いました。五十嵐くんが「俺も帰るけど」と言うので、流れで、途中まで一緒に帰ることになりました。帰り道、五十嵐くんは「もしかして俺が邪魔したか?」と不安げに聞いてきたのですが、あの褒め言葉で気が動転していた私は、再び絵の話題を出されて、「いや、別に?」と言うしかできませんでした。「全然平気だよ、気にしないで」だの、「ほんとは邪魔だったけど、褒めてくれたから許してあげる」だの、気の利いた言葉は、まったく出てきませんでした。

 


 

10

 

 夜の九時頃だったでしょうか。私はベッドに寝転がって、ぼんやりとノートを眺めていました。

「五十嵐くんに、褒められた……」

 例の、雲の絵です。

「これ、まだ途中なんだよな……」

 本当の本当に完成したら、五十嵐くんは何を言うでしょうか。

 ……。

 いや、なんで五十嵐くん?

「勉強しよう、勉強……」

 集中して、今日のことは一旦忘れよう……。

 絵のことは、頭から追い出そう……。

 そうして私は、物理の問題集を開きました。

 ……集中できません。

 仕方なく物理を閉じて、代わりに化学の問題集を開きました。

 ……集中できません。

 今度は代わりに英語を……集中できません。

「……」

 気づけば私は、例の青いノートを開いていました。描き込んで、描き込んで、描き込んで……納得のいく雲が出来上がった頃には、深夜の二時をまわっていました。

「うそ」

 私は急いで電気を消し、ベッドにもぐり込みました。

 早く寝なければ。

 寝不足なんてものに、私は慣れていません!

 私は固く目を閉じました。そうして寝よう寝ようと念じましたが……妙に目が冴えて、結局は起き出してしまいました。すっかり絵を描き切って雲に満足していた私は、今度こそ物理の問題集を開いて、気がつけば、朝の五時になっていました。




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